いる。(それは)寝室ではなく死体安置所へと思いを馳せるものだ(注19)。ローズは、「発禁となった本の頒布(はんぷ)、禁止されていた映画の上映、禁句であった言葉の使用、といったことを容認する性革命の一環として」(注20)登場したエロティックアートを、「エロティックな様式に対するアンチテーゼ」(注21)とも評している。ここで興味深いのは、こうしたエロティックアートの勃興とほぼ同時期において、身体性や官能性を基盤として作品に看取されるエロティックな性質は、エロティックアートではなく、むしろ抽象という表現形式において論じられ始めていたということである。そこで次章では、抽象という表現形式におけるエロティシズムの可能性を1966年頃より練り上げ始めていたルーシー・リパードの活動に焦点をあて、1960年代後半の美術におけるエロティシズムの問題を明確化・追跡する。3.ポストミニマリズムとエロティシズム1966年にニューヨークで熱狂的に受け入れられたのは、幾何学的形体、連続的な配列、工業用素材の使用によって作家の手の痕跡を極力排除しようとするミニマリズムであった。この美術動向のイメージを決定づけた展覧会「プライマリー・ストラクチャー:アメリカとイギリスの若手彫刻作家たち」展(1966年4月27日─6月12日、ニューヨーク、ジューイッシュ・ミュージアム)は、ライフやニューズウィーク、ニューヨークマガジンといった新聞・雑誌で「新たな美学の到来」や「本年を特徴づける展覧会」といった語彙で好意的に評され、展示のオープニングパーティーには業界関係者のみならずテレビの報道陣まで駆けつけるなど、異様な盛り上がりとともに受け入れられたことで知られている(注22)。しかし、ミニマリズムを「われわれの時代の様式」(注23)として成文化するこうした傾向に抗する動きもまた存在した。そのひとつが、ルーシー・リパードによって組織・企画された展覧会「エキセントリック・アブストラクション」展(1966年9月20日─10月8日、ニューヨーク、フィッシュバッハ・ギャラリー)である。抽象的な形態を採りながらも、ゴムやファイバーグラス、衣服など、彫刻の文脈においては非伝統的な素材をもちいた作品が、壁や天井から吊り下げられたり、床に置かれたりした同展覧会が、先の「プライマリー・ストラクチャー」展と大きく異なる性質を持っていたことは、それぞれの展示の様子を伝える写真からも理解することができる。単純化すれば、前者の展覧会〔図6〕では不規則かつ有機的な形態を持つ作品が並び、後者の展覧会〔図7〕では磨き上げられた表面や厳格な形態を持つ作品が整然と並んでいる。通常、リパードの企画― 221 ―― 221 ―
元のページ ../index.html#233