鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
234/602

したこの「エキセントリック・アブストラクション」展は、物理的事実とそれが観者にもたらす心理的効果のずれを強調することによって、ハードかつ堅固な物体を規則的に配列するミニマルアートの理知的性格を乗り越えようとするポストミニマリズムの最初期の展覧会として位置づけられるものである(注24)。しかし、同展覧会に含まれていたエロティシズムの問題が取り上げられることは管見の限りない。展覧会から数か月後の1967年、リパードは『ハドソン・レビュー』誌に「推定されるエロス」という論考を寄せて、抽象におけるエロスの分析を進めている。リパードによれば、今日の抽象における支配的な動向は、「肉感的なもの、デュオニソス的なもの、さらには生命、生物、擬人主義的なものへのいかなる参照にも反対して」(注25)おり、その一方で具象によるエロティックな表現は、その描写以上のものを指し示すことがなく、感覚的な魅力を喪失しがちである。しかし、抽象においては、対象の形やスケールを一致させる必要がないため、再現的な描写においては埋もれてしまう官能的な性質に焦点を当てることができる(注26)。キース・ソニアの《無題Inflated Works)》〔図8〕の、あいだをチューブで繋がれた二つの三角柱のうちの一方(厚手のコットン生地で作られた方)がゆっくりと膨張と収縮を繰り返す様子は、筋肉の膨張と弛緩を伴う性行為と容易に連想させるがゆえに(注27)、肉感的な経験を喚起し、またクレス・オルデンバーグのソフトスカルプチャーにおける、柔軟で、運動感に富み、受動的でありながらも喚起的で動的な素材の使用は、性に関する直接的な連想を欠きつつ、素材の変形が感覚を触知的な次元で刺激するため、抽象的にエロティックである(注28)。さらに、「ヘテロ・イズ」にも出品されたチャールズ・スタークの《トンプソン・ストリート5》(1965)は、ウェッセルマンの《Seascape #17(Two Tits)》(1966)〔図9〕がその塗りの平坦さゆえに冷たく反肉感的であるのとは反対に、触覚的な感覚を喚起する繊細さを持ち合わせている(注29)。リパードは、彼らの作品から、エロティックな美術が決して「狭義の性的な主題の描写に限定されるものではない」(注30)ことを受け取り、抽象という表現様式を採用することで性的な描写を欠きながら、観者に触知的な反応を喚起する作品を、エロティックな美術を模索する新たな道として評価したのであった。描写に意味を読み取ろうとする概念による把握よりも感覚的認識(感性)を重視する視点は、マルクーゼにも見て取れるものだが(注31)、ここで思い出しておきたいのは、フォージがデ・クーニングの60年代の作品に看取した官能性が、身体的な感覚に根差したものであったことである。外界に融解し風景と共振する身体描写が観者に身体的な高揚を伴って感覚されることは第一章で見たが、フォージの批評はその読解― 222 ―― 222 ―

元のページ  ../index.html#234

このブックを見る