鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉑ 平安時代の地方における薬師如来像およびその随侍像の研究─伊豆半島伝来諸像を中心に─研 究 者:清泉女子大学大学院 人文科学研究科 博士課程  花 澤 明優美本研究は、平安時代の薬師如来を中尊とする群像に注目して、地方作例における尊種選択の背景および薬師造像に求められた利益等をあきらかにするため、東京都大島町・吉谷神社伝来諸像や静岡県河津町・南禅寺諸像、同函南町・桑原薬師堂伝来諸像など伊豆半島周辺に集中する特徴的な作例の造像背景を具体的に検討しようとするものである。本報告ではとくに吉谷神社薬師堂伝来諸像を中心に取り上げる。1.吉谷神社薬師堂伝来諸像の概要伊豆大島三原山南西に位置する吉谷神社飛地境内社の薬師堂には、平安時代後期の作とみられる木彫像数軀が伝来していた。昭和33年(1958)の調査時には堂内に30余軀の仏像が安置されていたという(注1)。現在、薬師堂には本尊薬師如来坐像〔図1〕と近世作とみられる賓頭盧坐像が残るのみで、伝来諸像のうち東京都指定有形文化財に指定されている観音菩薩像・地蔵菩薩像・兜跋毘沙門天像・四天王像〔図2~4〕の7軀は大島町郷土資料館で保管・展示されており、その他の所在は不明である。伝来諸像については2000年の『大島町史』発行に伴う調査以来、本格的な調査は行われておらず、これまで詳細の報告もないが、2019年6月にこれらを調査する機会を得た(注2)。各像の概要については、薬師如来像分は別稿で報告しており(注3)、都指定の7軀分は本稿末尾に〔資料〕として付した。2.吉谷神社薬師堂伝来諸像の製作年代と伝来諸像のうち薬師如来像の、一木造りで内刳りをしない構造技法は平安時代前期の木彫像の特徴であるが、単純なかたちにあらわされた内耳輪や奥行きの薄い体軀などは平安後期の作例と共通する。12世紀に入ると定朝様の普及によって中央の作風が各地におよび、地方でも均斉のとれた高水準の作例が多くみられるようになるが、本像は体に対して頭部がやや大きく、胸を張って坐る姿も12世紀の一般的な如来坐像とは異なる。大粒の螺髪が並び頭部と肉髻との境が目立たないのは、中央周辺では滋賀・善水寺薬師如来像や奈良・法隆寺新堂薬師如来像など、10世紀末から11世紀初め頃の作にみられ、本像も地方に定朝様が浸透する以前、11世紀後半の製作と考えられる。― 229 ―― 229 ―

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