鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴稲村坦元氏・後藤守一氏・脇本十九郎氏による調査(『東京都 大島町史』通史編、2000年3月、る。中央周辺では浄土信仰の興隆によって阿弥陀如来像の造立が盛んになるなかで、吉谷神社薬師堂伝来諸像に見られるように、地方では10世紀以前の造像にならった薬師如来群像が造り続けられていたことがわかる。ただし、尊像構成などを参考にしながらも造像の規模は大幅に縮小されており、前代のような有力者による地域社会全体のための造像であったとは考えられない。また吉谷神社薬師堂伝来諸像が造像された頃は、公的な対応が必要になる火山活動のような大自然災害のない比較的落ち着いた時期であった可能性も考えられる。諸像は島嶼においてはより日常的な問題となる海難事故等に対しての効力を求めて造像されたのだろう。東京都大島町)。⑵山本勉教授(清泉女子大学)、荒井孝則氏(〔株〕毎日オークション編集部制作課)、酒井月音氏(清泉女子大学大学院修士課程)、堀米真由氏(同)のご協力のもと、大島町郷土資料館および吉谷神社薬師堂にて調査を行った(所属は調査時点)。⑶花澤明優美「伊豆大島・吉谷神社薬師堂薬師如来像について」(『清泉女子大学大学院人文科学研究科論集』25、2020年3月。以下概要を簡単に記す。像高54.4cm(一尺八寸)、髪際高46.1cm(一尺五寸二分)。針葉樹材(ヒノキ)。一木造り(内刳りは施さない)。古色塗り。⑷祈祷札は昭和33年(1958)10月に東京都指定有形文化財に指定され(指定名称「天文二十一年修薬師供養法木札」)、現在は大島町郷土資料館で保管・展示されている。⑸『東京都 大島町史』資料編、2001年3月、東京都大島町。⑹『東京都 大島町史』通史編、2000年3月、東京都大島町。⑺東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室編『奈良県奈良市・大慈仙町薬師如来坐像修復研究報告書』2011年6月。⑻田島整「静岡県河津町・南禅寺の平安時代仏像群について─尊像構成から見たその性格─」(『鹿島美術研究』年報37別冊)2020年11月。⑼根立研介「鶴林寺太子堂の彫刻」(『鶴林寺太子堂とその美』〔『鶴林寺叢書』1〕所収)2007年8月、法蔵館。林温「鶴林寺太子堂内陣荘厳の意想─東北柱画の孔雀騎乗像について─」(『仏教芸術』296、2008年1月)は、天台法華三昧堂意想の検討や太子堂壁画諸尊との関係から、当初四天王像が囲んでいた太子堂本尊は普賢菩薩像であった可能性を指摘しており、今後の検討の上で注意しておきたい。⑽花澤明優美「長野市松代町・清水寺の平安前期木彫諸像について」(『美術史』187)2019年10月。⑾『畑野町史』信仰篇、1985年10月。⑿むしゃこうじみのる氏による、路傍のサイノ神に通じる地域の境界鎮護の像とみる説(『地方仏』〔『ものと人間の文化史』41〕法政大学出版局、1980年7月)や、神田雅章氏による、修正会の追儺の鬼追い役に通じる性格も有していたとみる説(「平安時代兜跋毘沙門天彫像の研究」― 235 ―― 235 ―

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