②恩地孝四郎《キリストとマリア》に関する一考察─キリスト教モティーフの使用と表現をめぐって─研 究 者:神戸大学大学院 国際文化学研究科 博士課程後期課程はじめに東京美術学校在籍中の恩地孝四郎(1891-1955)は、田中恭吉、藤森静雄と『月映』(注1)を創刊している。大正に入り一層盛り上がりつつあった創作版画運動のなかで、当時はまだなかった版画のためだけの雑誌を作る目的で『月映』は誕生した。《キリストとマリア》(注2)〔図1〕は、1914年5月に私輯『月映』第3輯にて発表された。この号に収められた作品の多くは女性や夜、死を連想させる表現において共通しており、「ひかるもの」の副題は、煌々と輝く光ではなく、暗闇に密やかに光るイメージを示している。本作品の主要モティーフであるキリストとマリアは、西洋美術の典型からは逸脱した表現を示す。この絵のキリストは両手を広げて浮遊しているため、十字架から直接昇天するように見える。しかしキリスト教の教義では一般に、磔刑後のキリストは、十字架から降下され、埋葬され、冥府に下り、復活し、その後昇天するというプロセスを辿る(注3)。また輪郭線のみにより描写された身体には背景が透けて見えるが、キリストが透明な姿で昇天することも一般的ではない。この絵の女性は、十字架に抱きつくポーズから「マグダラのマリア」であることが示される(注4)。マグダラのマリアは長い髪を持つ女性像として多く描かれ、しばしばヌードで表されるが(注5)、この絵においては陰毛が強調されている。このような髪以外の体毛の強調は、典型的なマグダラのマリアのイメージには認められない表現である。恩地がキリスト教徒でなかったからこそ、こうした表現の逸脱は可能だったのだろう。この絵が喚起する特異な印象は、独特の身体表現によっても強められている。鋭い線で彫られたキリストは、筋肉や骨格が露出した皮の剥がれたような身体として表されている。曖昧なプロポーションを示すマリアの身体は抽象化されているうえに、頭部と局部から複数の黒い線を放出している。色彩と位置の一致および長い髪を垂らしたマグダラのマリアの典型像の存在から、この線は毛髪を表すように見える。キリスト教の教義やイコノグラフィーからの逸脱を示す本作品には、宗教的主題に限定されないテーマが推察される。こうした表現と同時代の文学的潮流との関係を示す点で、本作品は、大正期における西洋文化受容について知る上で興味深い一例と― 13 ―― 13 ―岩 間 美 佳
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