囲を拡張させていくという発想に至るまでには、プリンストン大学大学院時代に受講したモーリィの授業、および1928年にヨーロッパ滞在中に訪れていたバウハウスでの経験がきっかけになっているとバーは発言している(注9)。特に、バウハウスにおいてヴァルター・グロピウスが実践する、建築、工業デザイン、グラフィックアート、絵画、彫刻、映像、写真といった様々な視覚芸術を同一に捉えるという美術教育における発想が、1926-27年のウェルスリー大学でバーが担当したモダンアートの講義および、近代美術館の構想に影響を与えていた。バーがかつてモーリィを通して学んだ美術史的態度と方法を近代美術の分野に応用していたことがうかがえる(注10)。バーが館長就任前に担当していた、ウェルスリー大学での近代美術講座の受講者説明には既に以下のように書かれていることが確認できる。「現在の美術作品に後れを取らないことがこの講座が目指すところである。…通常の研究法の重要なヴァリエーションとして、近代美術は色彩がなければ十分に理解されないため、素晴らしい色彩の複製が入手出来る時は写真の代わりに用いられる。美術館、ギャラリー、プライベートコレクション、劇場、『映画』、そして単に批評上の材料というだけでなく、雑誌と新しいドローイングや版画、更には広告やタイポグラフィにおける良質の作品も素材に用いられる(注11)。」授業の内容として現在進行している美術動向を扱っていくことを示し、作品を解釈するためには美術作品そのものだけではなく、同時代に発表されている素材を用いた、より複合的な体験が理解の助けになると述べられているのだ。また、バーが映画への興味を抱くことになった理由として、1927年にロシアを訪れた際に映画監督であるセルゲイ・エイゼンシュタインと親しくなり、完成前の作品を見るなどして親交を深め、感銘を受けていたことが挙げられる。特にロシア滞在中に見た『戦艦ポチョムキン』(1925)についても「重要な芸術的体験以上のものだ。映像の歴史において、明らかに画期的である」(注12)として手放しの賞賛を送っており、既に自身の体験としても映画についての関心を高めていた。美術館の構想として絵画や彫刻だけでなく多様なジャンルの作品を扱っていくということは、これらの要素が関係し、以前から既にバーの関心事としてあったことがわかる。4、フィルムライブラリーの設立へ1935年に、ロックフェラー基金によって100万ドルの予算が投じられ、ついにフィルムライブラリーが設立されることとなった。各国の映像を集めるライブラリーは美― 243 ―― 243 ―
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