術館では初となり、ジョン・ヘイ・ホイットニーをディレクターとし、初代会長のコンガー・グッドイヤー、ネルソン・A・ロックフェラーによって公式文書が交わされた(注13)。イギリスで映画評論家として活動し、1932-35年まではMoMAで司書を務めていたアイリス・バリー(Iris Barry, 1895-1969)がこのライブラリーの初代キュレーターになり、またバーの学友であったアボットと共に運営を担っていくことになった。このライブラリーの設立目的は1935年のプレスリリースには以下のように記されている。「映像こそがまさに20世紀に特有の芸術である。芸術として実際にはまだ知られておらず、研究も進んでいない。近代絵画、文学、演劇、建築に親しんでいる人達は、パープスト、プドフキン、またはシェストレム、そしてグリフィスとチャップリンといった現在進展している面々の創造的な段階について無知である。しかし、これらの監督が制作した映画は生活と現在の世代の思考へ多大な影響を及ぼすものである。『この新しく、私たちの時代に本質的な力である、生きている表現の形態は、始まったばかりの芸術であるからこそ、始めから研究されうるものである。というのも、映画のなかでもっとも古いものでも、たった40年ほど前のものである。しかし、歴史的にも美学的にも重要である大部分の映画は国外か国内、古いものか新しいものであっても現在の条件では見ることが難しい。これらの映画を保存し、そして一般大衆へ向けた研究と調査が、この新たなフィルムライブラリー設立の目的である(注14)。』」さらに、1889年から現在において、アメリカ、または各国で制作されたすべての映像を対象とし、展示や上映だけでなく、美術館および大学への巡回上映、映画についての書籍と刊行物、歴史的な素材も収集していくとして、映像に関する総合的な場であることを目指して出発されたことが記されている(注15)。新しい分野であるからこそ、バー自身はフィルムライブラリーが収集すべき映像として、どのようなものを考えていたのだろうか。「美術館の映像部門では、映画館で上映される機会がない映画、質は高いが商業的な凡庸さにのまれて失われた映画、アマチュアで前衛的な映像(マン・レイ…フェルナン・レジェ…モホイ=ナジ…ブニュエルといった面々による)、そして、その品質、または芸術の発展のために重要な、過去30年間で再燃する価値のある映画を見せていくことを試みる(注16)」と記しており、商業的映画以外にも前衛的な映像作品といった多様なものがフィルムライブラリーが収集する範囲であることが意識されていたことが分かる。実際、このライブラリーにとって1935年に初の所蔵作品には11分のサイレント映画であるエドウィン・S・ポーター監督・製作「大列車強盗」(1903)と、フェルナン・― 244 ―― 244 ―
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