レジェによる抽象的なイメージが連続して現れる実験的な映像作品「バレエメカニック」(1924)が含まれていた(注17)。アメリカ西部を舞台とし映画館でロングランヒットとなった「大列車強盗」と、撮影をマン・レイが担当した「バレエメカニック」は共に芸術性、娯楽性を象徴しており、コレクションの理念を体現するものとして選ばれており(注18)、これらの作品は商業映画と前衛映画としてフィルムライブラリーがこの2つの側面を捉えていくことを示していたといえる。5、芸術としての映像このようなバーの理想を体現するためにライブラリーの実務を担っていたのはキュレーターのバリーであった(注19)。バリーとアボットによるハリウッドといった商業映画界への献身的な働きかけにより、多くの関係者から寄贈を受け、1940年までにはフィルムライブラリーのコレクションは2000本近くに達していた(注20)。バリー自身は映画を娯楽ではなく、文化というより大きな概念に結び付けることを意識しており、「一枚の絵画がそうであるように、(映画の中に)一つひとつの場面、一つひとつの瞬間はそれ自体で美しい。しかし、複数の場面をつなげた作品全体は、場面相互の関係においても美しい。場面から場面へ、瞬間から瞬間へ、細部から細部への転換も、その美しさを形作っている(注21)」と発言している通り、映像が持つ美的側面を強調する。映画は産業や企業を背景にした新たな芸術であるという考えから、バリーは映画を絵画や彫刻といった芸術の域にまで高めようという意識のもと、フィルムライブラリーを発展させていった。この頃、MoMAが収蔵対象とした工業デザインの扱いにも着目してみたい。開館当初からバーはMoMAが新たにコレクションの対象とすべきだと提案し、1932年には工業デザイン部門が設立された。1934年にはデザイン部門のフィリップ・ジョンソンによるキュレーションで「機械芸術(Machine Art)」展が開催されており、車輪やボールベアリング、家庭用グラスに至るまで安価に入手可能な大量生産品を取り上げる内容のものであった。この展覧会カタログに収められているバーによる巻頭テキストは、「機械芸術の美の一端は、実際に手に触れられる道具としての『表面と固体』、『らせんと定規と四角』による、『直線と円』の抽象的な美しさである(注22)」として始められ、機能的な美に注目することで、一般的な商業デザインにも映画と同様に美的な視点が投げかけられていることが分かる。バリー、およびバーによる上記のような考えも、1920-30年代頃における機械や複製芸術を美的なものとして、鑑賞の対象に取り入れていくという芸術と技術が結びつくようになった時代における価値観の― 245 ―― 245 ―
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