之記」という面の作者と伝来について記した文書一通が付属する。文書には「(前略)右/元豊後國臼杵藩主子爵稲葉家什宝/明治九年より東京帝室博物館へ昭和三十二年三月迄/保管(後略)」とあり、3点の面は豊後国臼杵藩主稲葉家旧蔵の品で、明治9年(1876)から昭和32年(1957)にわたって東京帝室博物館に出品されたという。本文書が何に基づいて記されたのか明らかではないが、内容の真偽については面や箱の貼紙によって確認することができる。まず、3点の面が臼杵藩稲葉家旧蔵品であるという点に関して、箱側面には「稲葉子爵出■/能面/三枚」の貼紙が、「曲女」の面裏には「稲葉久通出品」の貼紙がある。稲葉久通(1843~1893)は臼杵藩15代藩主であり、これらの面が稲葉家所蔵品であったことがわかる。また、先行研究において稲葉家の所蔵面に関する資料『御能面目録』(野上記念法政大学能楽研究所所蔵)が紹介されている(注1)。同資料は天保7年(1836)に記された稲葉家の所蔵面の目録で、合計で63点の能狂言面が記載される。資料中には「べしみ」「平太」「曲女」にあたる面の名が確認でき、こうした記録との合致も3点の面が稲葉家旧蔵品であることをうかがわせる(注2)。同様に東京帝室博物館への出品についても、箱側面に東京帝室博物館美術課の分類用の貼札がみられることから事実であると考えられる。「能面三之記」の記述通り出品時期が明治9年であったかは不明だが(注3)、出品者である久通の没年からみて、出品は明治26年(1893)以前に行われたと判断できる(注4)。稲葉家は昭和14年(1939)10月に入札会を行っており、その目録から59点の能狂言面が出品されたことがわかる(注5)。入札会に出品された面は現在散逸しており、所在は明らかではない。「べしみ」「平太」「曲女」の面は同家伝来の能面の中で現在確認できる唯一の例となる。稲葉家で行われた能については記録が乏しく、能楽史上でも言及される機会は多くなかった(注6)。これらの面は稲葉家で行われた演能について考えるうえで有用な手がかりとなるだろう。また、入札会の目録から、昭和初期まで稲葉家に多数の能狂言面が所蔵されていたことが明らかになる。明治期に東京帝室博物館に出品された「べしみ」「平太」「曲女」は、50点以上の面の中から選別されたものであり、同家の所蔵面の中でも特に重視されていたのではないだろうか。実際に「べしみ」面は重要な資料的価値を有する作例で、稲葉家でも貴重な面として扱われていた可能性が考えられる。続いてはこの「べしみ」面に焦点を当て、制作時期に関して考察を行いたい。― 250 ―― 250 ―
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