鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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(2)造形の特徴と資料的価値されたことが読み取れる。これら2点の翁面については、刻銘の書体や花押の形状、銘文の内容および形式、面裏の仕口といった共通点が指摘されており、酒惣という同一作者が手掛けたものと考えられている(注7)。2点の翁面と「べしみ」の面裏を比較してみると、花押の形状、細く肥痩のない線であらわされた陰刻や額部分にのみ銘を刻む点が一致する。また、「べしみ」面の陰刻して朱を塗った銘文は、長滝白山神社所蔵翁面の白く塗られた刻銘と類似している。そのほか面裏全体を平滑に仕上げる様子も共通している。個々の特徴は特殊なものではないが、これほど多くの共通点があることは注目される。さらに奉納された年代が近接していることや願主が同一名であることをみても、これら3点の面は同じ作者の手による作例であると考えられる。2点の翁面と同じく、「べしみ」面は室町期の作柄を示す重要な存在であるといえるだろう。なお、2点の翁面の作者である酒惣は、「べしみ」の銘文に記される酒井惣左衛門を略した呼称であるとみられる。また、「べしみ」面と長滝白山神社所蔵翁面の銘文にはそれぞれ白山妙理権現・白山妙理大権現とあり、翁面が長滝白山神社に伝来していることから、「べしみ」面の奉納先も同社であったと推測される。本作のように奉納面が大名家に伝来した例はまれである。本来奉納面は寺社に納められるものであり、現在も多くが寺社に所蔵されている。近世の大名家では積極的に能面の収集が行われたが、そうした面のほとんどは同時代の面打ちが制作した古作面の写しである。「べしみ」面を稲葉家が所持していた理由は現状明らかにすることができていないが、大名家の能面収集に関する興味深い事例であるといえる(注8)。近世において中世以前の古作の面は貴重視されていた。当時の様々な職業を図解した『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690)刊)の「面打」の項に「楽人、能師、これをもとむ。上古にはさま〴〵奇特有しとかや。これを作の面と号して世上の宝とす(注9)」とある通り、古作の面はしばしば特別な力を有するものとして神聖視され、「作の面」と呼ばれて珍重された。前節で述べたように「べしみ」面は稲葉家において重視されていた可能性があるが、その理由として本作が室町期に制作された古作の面であることが想定されよう。さらに、本面は銘文の記述だけではなく、造形的な面においても中世以前の古作であることを示している。続いては本作の造形的特徴を確認するとともに、面が有する資料的価値について考えてみたい。造形を詳しくみていく前に、本作の面種について確認したい。本作は現状「べしみ」― 252 ―― 252 ―

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