と呼ばれているが、「べしみ」は通常「癋見」と表記される鬼面の一種である。癋見面の名称は「へしむ」という口を引き結ぶ動作に由来し、口を横一文字に結んだ形の鬼面全般を指す。代表的な癋見面としては天狗などの役に用いる大癋見と地獄の鬼などに用いる小癋見があり、より使用範囲が狭い長霊癋見・猿癋見・悪尉癋見・牙癋見など複数の種類に派生している。癋見面はいずれも結んだ口元を持つ点では共通しているが、それぞれに異なる特徴を有している。その中で、本作は多くの点で長霊癋見面の特徴をそなえている。冠形をなす点や、大きく開かれた目および鍍金銅板を嵌入する瞳は他の癋見面とも共通する部分であるが、眉間に刻まれたW字型の皺(注10)、眉根を寄せずになだらかな弧を描く眉、細い毛描で渦巻き状にあらわされた眉や髭といった特徴は、癋見面の中でも特に長霊癋見にみられるものである。実際に、面裏の貼紙に「長㚑べしミ」とあり「能面三之記」にも「長霊癋見」とある点から、本作が長霊癋見面として扱われてきたことが確認できる。一方で、本作には現在一般的にみられる長霊癋見の面とは異なる点もある。近世に模作の手本面として広く流布した金春家旧蔵の長霊癋見面(東京国立博物館所蔵)と本作を比較するとき、もっとも顕著な違いがみられるのは目元の表現である。前者は目頭が丸く目尻側に切れ込みがみられるのに対し、本作は目頭が尖り目尻は丸くつくられている。また、金春家旧蔵長霊癋見面のような目尻から伸びる放射状の皺も本作にはあらわされていない。以上のように、本作の造形は大部分で長霊癋見の定型に合致しているが、一部には異なる点もみられる。なぜこのような違いが生じたのか、能面の発展と分化という面から考えてみたい。冒頭で触れた通り、現在用いられている能面は200種以上に分類することができる。こうした細分化が起きた時期について、能面研究では主に同時代の伝書の記述を手がかりに検討がなされてきた。よく知られているように、永享2年(1430)の奥書を持つ世阿弥(1363?~1443)の芸談『申楽談儀』に登場する面の名は20種に満たず、当時の能面は発展途上にあったと考えられる。大谷節子氏は能面の派生が進んだ時期について、本願寺の坊官で素人の能役者でもあった下間少進(1551~1616)が残した伝書に「分化した面の名称がほぼ出揃う」として、「面の派生は十六世紀に入って一気に進んだものと推測される(注11)」と指摘している。「べしみ」面が制作されたのは、まさにこの大谷氏が指摘する面の細分化が進んだ時期に合致する。長霊癋見は伝説上の盗賊である熊坂長範の役柄に用いられる面であり、使用演目は基本的に〈熊坂〉〈烏帽子折〉の2曲に限られる(注12)。用途が限定― 253 ―― 253 ―
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