注⑴宮本圭造「野上豊一郎の能面研究」(伊海孝充編『能楽研究叢書4 野上豊一郎の能楽研究』所収、共同利用・共同研究拠点「能楽の国際・学際的研究拠点」野上記念法政大学能楽研究所、2015年3月、87~102頁)とを指摘した。まず、室町期の年紀を有する面であり、長滝白山神社所蔵翁面・厳島神社所蔵翁面といった他作例との関係性が確認できること。そして、長霊癋見の形式が確立される以前の造形を有し、室町期の能面の発展の過程を伝えることである。近世においても中世以前の古作面は貴重視されていた。室町期の銘文を有し定型化以前の特徴を残す「べしみ」面は、稲葉家でも高い評価を受けたのではないだろうか。長滝白山神社に奉納されていたであろう「べしみ」面が稲葉家に伝来した経緯については、残念ながらまだ明らかにすることはできていない。本作のような奉納面が大名家に収蔵されていたこと自体が珍しい事例であり、今後も検討を続けていきたい。また、本作の例をもとに、江戸期における奉納面の位置づけについても考察していく必要があると考える。⑵目録中の表記は「長霊へしみ」「平太」「曲女」である。後述するように、「べしみ」面は鬼面の一種である癋見面の中でも特に長霊癋見面の特徴をそなえており、本作を指すものと考えられる。⑶現状は『帝室博物館年報』等の資料中に稲葉家の出品に関する記録は確認できていない。また、面の陳列についても記載はみられず、保管のみで展示が行われなかったのかもしれない。⑷箱の貼札には「稲葉順通蔵」と久通の長男の稲葉順通(1875~1952)の名が記されたものもあり、面は久通の没後も引き続き東京帝室博物館で保管されていたと想像される。⑸前掲注⑴ 宮本論文参照。⑹臼杵藩の能楽史に関する先行研究としては、宮本圭造「臼杵藩の能楽史─国立能楽堂等蔵江戸前期能番組を紹介して」(『国立能楽堂調査研究』5号、2011年3月、7~39頁)が挙げられる。⑺京都国立博物館編『能面選』(京都国立博物館、1965年3月)。平成12年(2000)に長滝白山神社の木造古楽面が重要文化財指定を受けた際にも「その作者酒惣が、二年後の天文十三年に広島・厳島神社の翁面を作っ」たと、2点の翁面の関係性が言及されている(「新指定の文化財(美術工芸品)」『月刊文化財』通号441号、2000年6月、1~50頁)。⑻他の例として、松井文庫に所蔵される八代城主松井家旧蔵の小面には「寄進/津々良吉左衛門/直吉/承應三年」の刻銘があり、寄進面であることがわかる。ただし、同面についても松井家に伝来した理由は明らかではない。⑼引用は朝倉治彦校注『人倫訓蒙図彙』(東洋文庫519、平凡社、1990年6月)による。⑽W字型の皺は長霊癋見面に固有の特徴であるが、三井記念美術館所蔵の金剛家伝来長霊癋見面のようにこの皺をあらわさない作例も存在する。⑾大谷節子「弘安元年銘翁面をめぐる考察─能面研究の射程─」(神戸女子大学古典芸能研究セ― 255 ―― 255 ―
元のページ ../index.html#267