鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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那な情感を託して十字架を描いており、こうした方法は、十字架という特定のモティーフにより内面的イメージを象徴する点において、白秋が詩という文学形式のなかで用いた方法を想起させる。このように、十字架と幻影的イメージを結びつける表現やモティーフに内面を象徴させる方法において、恩地が白秋から影響を受けていたことが伺える。ただし、恩地が十字架により象徴した内面のイメージには、白秋のデカダンを特徴づけるエキゾチズムやエロティシズムは認められない。『いのちのうすあかり』には胸に手をあて跪き祈る女性が描かれているが、添えられた詩は、彼女の祈りが他者の「くるしみ」や「かなしみ」へ寄せる共感から捧げられることを示している。田中恭吉宛の絵葉書に添えられた詩には、生命の儚さを直視しようとする刹那な情感が表されている。このように恩地が表す内面とは、他者への共感と祈りや「生命」のテーマを巡る葛藤といった、より観念的な性質をもつものとなっている。第2節 『白樺』との関連恩地は青年時代に『白樺』を愛読したことを記しており(注8)、武者小路実篤や柳宗悦の思想に共鳴していた。『白樺』ではこの二人を中心に、個性尊重や人格主義、天才崇拝といった彼らの思想に結びついて、神としての側面を捨象したキリストの人間像が取り上げられた。そこでは、信仰の対象としてではなく、人道的に優れた個人の天才を模範とするキリスト解釈が支持され展開された。論考「自我」が示すように、武者小路は白樺派が「人格」の根拠として主張した「自我」の価値を最もよく知り発揮した人物として、キリストを思想家や文学者とならび敬愛した(注9)。彼はキリストのうちに自らの姿をみることで、キリストの世俗的性格をより強調している。「耶蘇は」で「三十歳迄」という言葉によって語られるキリストの境遇は当時28歳であった作家自身に重ねられたものであり、読者にとっても共感を抱きやすいキリストの人間像が提示されている(注10)。こうした発想と関連しつつ『白樺』では、性欲肯定や恋愛賛美といった彼らの思想と結びついて、キリストとマグダラのマリアを理想のカップルとみなす解釈も支持された。柳は「心語り」のなかで、イエスの生涯における最も美しい瞬間とはマグダラのマリアと過ごした時間であり、このことが教義に関わる「奇蹟」や「復活」以上に感動を誘うと述べる。冒頭では恋愛に対する憧れと生命誕生の根拠としての性欲の肯定が述べられており、「あらゆる愛の最も純なるもの」という表現は、イエスがマグダラのマリアに向ける恋愛感情を想定している(注11)。― 15 ―― 15 ―

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