鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉔ 死者を記念するビザンティンの挿絵入り写本研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  太 田 英伶奈西欧中世では《ボンヌ・ド・リュクサンブールの詩篇》(Metropolitan Museum of Art, Cloisters Collection, Inv. 69. 86、1348/49年)(注1)のように、故人を追悼するための写本が制作された。同様の試みがビザンティン帝国とその周辺でも行われていなかったか、というのが本研究の問いである。結論から述べれば、死者のために制作された写本はビザンティンにもある。ただし、ある写本が故人に捧げられたものであると特定するには困難を伴う。本稿の限られた紙幅では、写本上でどのように献呈/被献呈者が死者であると示されているかに着目し、ビザンティン人の死に対する態度を読み取る。一度、埋葬施設から切り離されてしまった、あるいは初めから埋葬施設に置かれていたのではない物体を葬礼というコンテクストに正しく当て嵌めるのは容易ではない。例として、パレルモのサンタ・マリア・デッラッミラーリオ(通称ラ・マルトラーナ)聖堂には、献呈者であるアンティオキアのゲオルギオス(1150/51年没)が聖母マリアに跪拝している奉献パネル〔図1〕が掲げられている。この奉献パネルは現存しないゲオルギオスの墓近くに設置されていた可能性がE・キッツィンガーの研究により判明している(注2)。しかし、パネルの図像や銘文そのものには墓碑であると断言できる程の要素はない。キッツィンガーの研究がなければ墓碑という本来の機能は忘れられていたことであろう。写本は持ち運べる媒体であるため、当初置かれていたコンテクストや機能を復原できる可能性はなおのこと少ない。絵画表現のみで死者たる属性を示す直截な方法は、息を引き取る場面や死後の様子を描くことである。第二次ブルガール帝国皇帝イヴァン・アレクサンダル(在位1331-71年)の注文による『マナセス年代記』(Biblioteca Apostolica Vaticana, cod. Vat. slav. 2、1344/45年?)(注3)には皇子イヴァン・アセン4世臨終の光景(f. 2r)、彼が天国に迎えられる様子(f. 2v)、そして死した彼が他の家族とともに描かれている(f. 205r)。f. 2rでイヴァン・アセン4世の遺体は父や母などの近親者に見守られながら寝台に横たわり、魂は天使に抱えられて上方に開口する天国の扉を通らんとしている。続くf. 2vでイヴァン・アセン4世は聖母マリアとアブラハムが待つ天国に迎えられている。さらに、巻末のf. 205rで死した皇子は天使に背を支えられて父や兄弟と共に佇んでいる〔図2〕。本来、この挿絵でイヴァン・アセン4世は生者として家族と共に並び立つはずであったことであろう。しかし、父の願いも虚しく、皇子は写本― 260 ―― 260 ―

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