の制作中もしくは制作以前に戦場で命を落とした。家族の中で皇子のみが故人であることを示すため、画家は皇子を導く天使の姿を描き加えたのである。ただし、ある人物の臨終や死後の様子が描かれているからといって、写本の制作時点でその人物が死んでいたと即断はできない。これに該当するのが、Athos, Dionysiou Monastery, cod. 65(以下ディオニシウ65番、12世紀) (注4)とOxford, Christ Church College, cod. gr. 61(以下CC61番、1391年) (注5)である。ディオニシウ65番はf. 5rからf. 13vにかけて、修道僧サバスの死と死後の救済に関わる奇妙な挿絵を持つ。f. 11v上段でサバスは死の床で口から魂を天使に抜き取られており、下段では死の直後に起きるとされる「魂の計量」にかけられている〔図3〕。一見するとディオニシウ65番でサバスは死者として描かれているようである。ところが、f. 244rの奥コロフォン付には「サバスがこの書物を著した」との署名がある。また、f. 12vの献呈図の下には同じ手により「この最も惨めなナジル人たる私が、過ちのお赦しを求め、あなた[の御姿]を描きました、ロゴスの御母よ」という銘文も記されている(注6)。よって、サバスは写本の筆写と装飾の両方を手がけたこととなる。つまり、少なくとも写本制作時には存命でなければならない。ディオニシウ65番もCC61番も献呈者本人が存命中に用意した写本であり、Vat. slav. 2のように遺族の命で作られた写本とは性質が根本的に異なる。とはいえ、献呈者が自らを死者として描かせたのは、本人の死と無関係ではない。ディオニシウ65番のコロフォンは、「[この本を]開く心あるすべての者は、[自ら]進んで主に感謝しつつサバスを想い起こすように」という一文で終わる(注9)。献呈者が自らの死後、CC61番はf. 102v-103rに、修道僧カロイダスを石棺から引き上げる聖母マリア〔図4〕と、聖母の執り成しを受ける玉座のキリストを表した挿絵を持つ。「カロイダス」は珍しくない姓であるため、当写本の献呈者が何者であるか、先行研究では特定されていない。そこで、パレオロゴス朝期のプロソポグラフィー事典(注7)に当たったところ、「カロイダス」の項目下にそれらしい人物が一名(事典の登録番号に従い、以下PLP10553と呼称)該当した。CC61番の写字生であるオディゴン修道院のヨアサフ(PLP8910、1406年没) (注8)は、死去に際してコルタスメノス・ヨアンニス(PLP30897、1436年頃没)から哀悼詩を贈られている。このコルタスメノスの知己がPLP10553(1407年没)である。つまり、写字生のヨアサフとPLP10553はコルタスメノスという共通の知人を得ていた。PLP10553が知人の伝を頼って、当世を時めく写字生であるヨアサフに写本の筆写を依頼した可能性は否定できない。PLP10553がCC61番の献呈者であるならば、写本制作時の1391年には存命であったことになる。― 261 ―― 261 ―
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