このように『白樺』では、イエスやマグダラのマリアの世俗的側面を強調した解釈が展開された。恩地は『白樺』上の信仰を逸脱したキリスト教イメージを共有し、本作品に反映させたように考えられる。このことに加えて、本作品が発表される直前である1914年4月の『白樺』でのウィリアム・ブレイク特集は、恩地によるキリスト教モティーフの表現に示唆を与えた可能性がある。恩地は『白樺』上でブレイクの版画を見たことを回想しており(注12)、桑原規子によれば、当時の彼の日記にはブレイクの名が記されていた(注13)。この『白樺』の号で発表された柳のブレイク論では、キリスト教を相対化するブレイクの思想とともに、「幻像」を描く画家としてのブレイク像が紹介されている(注14)。恩地が白秋の詩から着想を得て、キリスト教モティーフを幻影的イメージにより表した点については既に述べた。『白樺』でのブレイク紹介に刺激を受けたことで、恩地はこうした表現をさらに発展させて本作品を描いたのではないか。1912年までの作品〔図2、3〕に描かれていたモティーフが十字架や祈る人である点に対して、本作品では、キリストやマグダラのマリアといった人物が描かれるようになっている。柳のブレイク論には、マグダラのマリアと同一視される「姦淫の女」をイエスが投石から擁護する場面に関するブレイクの詩句の引用と解説が含まれていた(注15)。このような記述が、具体的な聖書の登場人物を主要モティーフとして象徴的に描く、本作品の構想に示唆を与えた可能性はあるだろう。また恩地がブレイクの版画に焦点を当てて回想していることからも、独自の版画技法である「彩飾印刷」を駆使したブレイクの存在が、創作版画を志して間もない『月映』同人を鼓舞したことも想像される。第2章 本作品の読解第1節 キリストについての分析『月映』結成半年前の田中による結核の罹患は、恩地と藤森においても、死やその裏返しである生を意識させることになった。田中の病という現実の出来事を契機に、『月映』では生と死をめぐるテーマが深められていった。とりわけ恩地には、生と死を対比的に描く傾向が認められる。本作品のキリストとマリアは、位置と姿勢、身体の描写が示す質感において対比的に描かれている。キリストは両手を広げて浮遊し、その身体には背景が透けて見える。一方、地上に蹲り、顔料の物質性を示す色面として刷られたマリアの身体は、宙に浮かぶ透明のキリストが物質的な肉体を離れた存在であることを対比的に表す。本作品の男女の対比的な描き方は、恩地がキリストを死者として、マリアを生者として表したことを示唆してい― 16 ―― 16 ―
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