めた制作は、受注台帳の記録だけでもおよそ200件が確認される。他方、大観からの贈り物と紹介がされている作品の中には、スポンサーとなった第三者(納めた先の庇護者や後援会)が確認できるものもある。そこで今回は受注台帳や新聞記事などの記録をひもとき、より支援や公益といった意味合いのもと提供された作品を寄付画とした。したがって、新作を後日寄付した例や個人の鑑賞目的で描いた贈答品、献上品(注4)は除いている。さて、大観の寄付画は目的によって大きく2つに分かたれる。1つは、売上金を寄付するための制作である。たとえば、早逝した画家の遺作展へ同時出品した金屏風《五柳先生》(菱田春草追悼展、明治45年)、《暁色》(今村紫紅遺墨展、大正5年)は、その売上金が遺族へと納められた。軍備献納のための通称《海山十題》(横山大観紀元二千六百年奉祝記念展、昭和15年)、《南溟の夜》(戦艦献納帝国芸術院会員美術展、昭和19年)や記念事業(大隈侯記念美術展(大正12年)、明治天皇上野公園行幸六十年記念(昭和11年))、慈善活動(報知新聞社による東北救済、東京朝日新聞社による同情週間、法務省による社会を明るくする運動など)による寄付も資金援助のための制作であり、第三者による販売という点においては、画商や百貨店の行う即売展と同様である。もう1つは、作品そのものを寄付するための制作である。協力のかたちは所属団体あるいは大観の個人的な活動のいずれかになるが、今回は大観による絵画作品そのものの寄付のうち作品(図版を含む)を確認できた31件に限り、これを〔表1〕にまとめた(注5)。以下、表に基き述べる。2.寄付先と経緯寄付先を大別すると、神社10、庁舎(海軍工作学校・東京駅を含む)9、教育機関7、公開施設3、出版社(宗教団体)2となる。判明した経緯のうち、多いのは新改築に伴うもので、次いで創立記念がその契機とされている。もっとも、記念の年に新改築が行われるケースもあり、石上神社と氷川神社への寄付は紀元二千六百年記念の境内整備事業にともなうものであった。神社へ納めた作品に関しては、その背景に、昭和以降に神社制度の充実化が図られていったこと、同時期に大観が日本文化とその精神性を説く画論を盛んにしていったことなどをあげることができる(注6)。また、寄付の多くは大観が依頼に応じて制作したものだが、大観から寄付を申出た相手に天業民報社と東京駅がある。天業民報社は国柱会創設者・田中智学が率いる出版社であり、国家主義的な智学の活動を大観が積極的に支持したためと考えられる― 269 ―― 269 ―
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