鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴受注台帳は「依頼画控」と呼ばれる資料群で横山大観記念館所蔵。期間は大正14年から昭和32年までの記録である。詳細は横山大観記念館『館報』16号、26号、28号、34号を参照のこと。⑵書籍刊行に際し贈った作品に、丸山三造『大日本柔道史』(講道館、昭和14年)の題画、小泉信三『海軍主計大尉小泉信吉』(私家版、昭和21年)の巻頭用の絵画(作品は印刷所とともに空襲で焼失)、藤本尚則『国師杉浦重剛先生』(国師杉浦重剛先生刊行会、昭和30年)の見返し画などがある。現在にいたるまで包括的に集積し、近代日本画についての考察をすすめていきたい。⑶石碑建立の寄付および揮毫例に、岡太神社・大瀧神社社標(昭和15年)、岡倉天心遺跡の石碑「亜細亜ハ一な里」(昭和17年、建立した岡倉天心遺跡顕彰会は大観自身が会長をつとめた)、雪村の碑(昭和19年)など。ほかに「菱田春草生誕之地」(揮毫は昭和11年、建碑は平成27年)、岡田紅陽顕彰碑「頌紅陽」(昭和31年)などがある。⑷皇室へ献上した大観作品は、制作の契機として、下命、他所からの献上のための依頼、自発的なもの、の3つがあげられる。大観自らが納めた作品には《御苑春雨》(大正15年)、《龍蛟躍四溟》(昭和11年)、《日出處日本》《日出處日本》(同一の画題)《富嶽図》《煙雨竹林図》(いずれも昭和15年)、《耀く大八洲》(昭和16年)など。⑸絵画作品以外の寄付制作として、帛紗図案や印刷物用のほか、靖國神社で行われるみたままつりの懸雪洞への揮毫(昭和22年、昭和25年)などがある。⑹本助成の成果の一部として次のものをまとめた。拙稿「神社所蔵の大観作品について」『館報』35号、横山大観記念館、令和3年、18-27頁⑺大観と田中智学との関係については佐藤志乃「横山大観の日蓮図と、近代における日蓮主義」(『館報』35号、横山大観記念館、令和3年、6-17頁)を参照。⑻東京駅への寄付については次の文献を参照。永田博『歴史の中の東京駅ものがたり』雪華社、昭和44年藤本陽子「大観と東京駅」『東京ステーションギャラリー開館記念 JR美術展』図録、東日本旅客鉄道株式会社、昭和63年、(頁打ち無し)稲田威郎「東京駅と横山大観。」『東京人』212号、都市出版株式会社、平成17年3月、90-95頁 なお、永田博・稲田威郎両氏によれば、大観が駅長室に案内された日は昭和22年の日展の審査の帰りとのことであるが、大観が日展の審査を勤めたのは昭和21年である。⑼前掲注⑻、藤本陽子「大観と東京駅」⑽前掲注⑻、稲田威郎「東京駅と横山大観。」94頁⑾「第一章 東京英語学校時代」『日本学園百年史』日本学園百年史編纂委員会、学校法人日本学園、平成5年、364頁。『国師杉浦重剛先生』については前掲注⑵参照。⑿「櫻井驛けつ別圖 湊川神社に奉納 楠公殉節六百年祭を前に 大観畫伯が執筆」『朝日新聞』(東京)(夕刊)昭和7年11月24日、2面⒀「本紙春季大附録 大楠公画像・横山大観筆 東京朝日新聞社」『朝日新聞』(東京)(朝刊)昭和10年1月20日11面⒁昭和13年10月3日、「軍人援護ニ関スル勅語」が発せられ、これを機に毎年10月、国民精神総動員運動の一環として傷痍軍人と遺家族への厚生事業が各地で行われた(『銃後後援強化週間― 274 ―― 274 ―

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