鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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た。その場合は、中央の劉備を関羽・張飛が囲む配置が定型である。〈貲ツ吉キ諾ノ謁エ〉〈贖ション穀コ〉〈乙イ箇コ吐ト壹イ〉の三図は、数々つくられた「見立桃園三傑図」の一種であろう。〈贖ション穀コ〉の腰を屈める体勢は劉備をあらわす一つの記号であり、矛を構える〈乙イ箇コ吐ト壹イ〉は、「蛇矛」の使い手張飛に重なる。加えて、劉備に重ねられると見た〈贖ション穀コ〉は、『列仙図賛』の「黄帝」〔図3〕を反転した体勢をとる。〈贖ション穀コ〉の錦に描かれる黄色の龍も、黄帝が従えた黄龍に通じる。三皇五帝に数えられる黄帝は、「蚩しゆう尤」を征伐することで中華を統一した。劉備もまた黄・巾賊を鎮圧し、皇帝になった。二人の豪傑を従える黄帝は、『山海経』が伝える、鬼門の伝説を喚起する。度朔山の桃の大樹の東北に鬼門があり、出入りする鬼を神しんと荼・鬱うつ塁るいの二神が見つけては虎に食べさせていた。これを知った黄帝が、二神を描いた魔除けの札「桃符」をつくったという。三図は、アイヌの肖像の深層に、「桃園三傑」と、『山海経』の黄帝と門神とを内包する。このように各図には、複数の神や英雄が織り込まれている。例えば〈貲ツ吉キ諾ノ謁エ〉の出で立ちは、大晦日の宮廷行事「追儺」での「方相氏」や、疱瘡除けの絵画に頻出し「赤絵」となって市中に出回った鍾馗、赤龍から生まれた逸話をもち赤い肌で描かれた金太郎といった、鬼を追い疫病を払う者たちのイメージが、折り重なっている。2、各図が導く物語と場所各図が内包する物語は、鎮護国家の社寺と、その地の御所からの方位をも導く。紙幅の都合により詳細な考察は省くが、概要は次のとおりである。第一図、天照大神に重ねられる〈麻マウタラケ第二図〈超チョウサマ殺麻〉の造形は、宋紫石『古今画數』の「東方朔」に重なる。東方朔には、西王母の桃を盗んで食べたという伝承があり、それは明代の長編小説『西遊記』で、西王母の桃を盗む怪猿孫悟空の発想源となった。〈超チョウサマ殺麻〉の造形は、《猿田彦神像》(猿田彦神社所蔵)〔図6〕にも通じ、本図は、東方朔─桃を盗む─孫悟空─猿─猿田彦神という連想を内包すると考える。猿といえば、御所の北東、築地塀が内側に凹む一角は「猿が辻」と称され、塀の上には猿の像が安置される。鬼門/北東と反対の南西を指す猿/申は鬼門除けの標しるしとされ、鬼門鎮護の霊場である比叡山延暦寺の鎮守社日吉大社も、猿を日吉神の使いとする。烏太蝋潔〉の衣服には、四神のうち東をつかさどる青龍があしらわれる。天照大神を祀る伊勢神宮が、御所から見て遠く東に位置することを、本図は思い起こさせる。― 281 ―― 281 ―

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