先述のとおり鬼門守護と縁のある〈貲ツキノエ吉諾謁〉は、関羽の武器「青・龍・偃月刀」を介して東に結びつく。本図を特徴づける赤は、やはり御所の鬼門にあって都の守護を司る赤山禅院を導く。第四図〈贖ション穀コ〉の画像の典拠となった『列仙図賛』の「黄帝」〔図3〕には、黄帝の昇仙伝説が記載される。先のとおり本図は桃と縁があることを踏まえると、『前太平記』で、貞純親王がその居所「桃園宮」で龍となり昇仙した記事が導かれる。桃園宮は現在の首途八幡宮にあったという。首途八幡宮は、源義経が奥州平泉へ出立する際に同社に立ち寄った北東/鬼門の入り口であり、やはり御所の北東に位置し、皇城鎮護の社として重んぜられたという。第五図〈乙イコトイ箇吐壹〉の容貌や衣装の文様は、祇園社/八坂神社に祀られる牛頭天王や、その伝説に登場する竜宮を導く。竜宮が想起させる亀と、張飛の蛇矛は、四神のうち北を司る玄武を導く。第六図〈失シ莫モ窒チ〉〔図7〕の弓を引く姿は、《僻邪絵》(12世紀、奈良国立博物館所蔵)〔図8〕に描かれる、弓で鬼を射る毘沙門天の姿に通ずる。〈失シ莫モ窒チ〉の腰に提げられた「矢に射られた雀」は、『日本書紀』で物部守屋が蘇我馬子を揶揄した言葉である。それは、聖徳太子が毘沙門天の加護を得て、守屋を破ったという伝承をも導く。黒い衣服と牡丹文様は玄と猪を導き、北の方位を指し示す。毘沙門天を祀り、京都の北を守護する鞍馬寺が浮かび上がる。やはり古代以来、鬼門守護と結びつけられてきた場所である。続く三図〈乙イニンカリ唫葛律〉〈訥ノ膣チ狐ク殺サ〉〈卜ポ羅ロ鵶ヤ〉〔図9〕もまた、先と同様に三枚続きで意味を発揮すると考える。第七図〈乙イニンカリ唫葛律〉の衣服は、『播磨国風土記』で神功皇后の新羅征伐を助けた「赤く濁った波」を思わせる。熊を縄でひくさまは神功皇后の熊襲征伐を、その姿は『日本書紀』が伝える神功皇后の男装姿をあらわすのではないか。第八図、〈訥ノ膣チ狐ク殺サ〉が担ぐ「鹿」は、『日本書紀』に登場する熊襲の名にしばしば含まれる。同書はまた、熊襲や隼人の系譜に連なる人々の、鹿の皮をかぶる風俗を伝えてもいる。記紀で熊襲、そして蝦夷の征伐に多大な貢献を果たした長寿と忠臣の象徴、武内宿禰が、本図には重ねられると考える。同様に第九図、〈卜ポ羅ロ鵶ヤ〉の衣服のアイヌ文様の刺繍は隼人の「失せたる鉤」(『古事記伝』)を、縄でひく犬もまた狗(犬)の吠え声をあげて内裏の護衛を務めたという隼人の征伐を思わせる。犬はまた、『八幡愚童記(甲)』で新羅征伐を果たした際に、「我等日本国ノ犬ト成、日本ヲ守護スベシ」(注4)と述べた新羅国王をも導く。羽毛― 282 ―― 282 ―
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