鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
305/602

や南蛮人、高野聖などの仮装行列を描くが、同工房の厳島・住吉祭礼図や賀茂競馬・住吉祭礼図においても神事行列の前に仮装行列を描いている。それらの描写は二条城前の仮装行列の描写と類似する。また同工房の洛中洛外図の特徴として、町屋の詳細な描写が挙げられる。瓦葺や杮葺の厨子二階の町屋、白壁の三階蔵など、立派な建物が整然と並ぶ町並描写は、堺市博本の町並描写と共通する。仮装行列や町並の描写が洛中洛外図と住吉祭礼図に共通するということは、工房にストックされた粉本が、画題を越えて共用されていたことを示す。以上、堺市博本は、制作工房についての研究は進んでいるが、その景観については全焼前の中世から続く堺か、復興後を描こうとしたものか、結着を見ていない。3.アジア美術館本の図様と表現次に、アジア美術館本について、堺市博本と比較しつつ、景観年代について考える上で注目すべき図様や表現を見ていきたい。(1)寺社両作とも右隻右上隅に宿院を描いてこれを描写範囲の南端とするのは同じであるが、北端は堺市博本では住吉大社の神宮寺、アジア美術館本ではさらに北方の住吉大社摂社の大海神社とする。アジア美術館本の神宮寺の塔は方形の二重塔であり、住吉大社の景観は元和4年以降と考えられる。住吉大社の社殿は、元和4年の造営後、承応年間に本殿や摂社の新築・修理が完成し、明暦元年(1655)に遷宮が行われた(注8)。承応年間の造営に際して作成された指図「摂津国住吉社絵図」(京都府立総合資料館蔵)には、反橋と神域の間に中鳥居が記される。この中鳥居は、寛文(1661~72)頃の作とみられる八曲一隻「住吉社頭図屏風」(大阪歴史博物館蔵)や、17世紀後半以降に作例の多い「四天王寺・住吉大社図屏風」には描かれるが、それ以前の比較的古い図様に基づくと思われる住吉大社図では描かれない傾向がある。アジア美術館本はこの中鳥居を描いておらず、景観年代の下限は明暦元年に仮定できる。堺の町は、塔が四基見えるのが注目される(第二扇上部の三重塔⑴〔図7〕、第三扇上部⑵、第四扇上部の上方⑶・下方⑷)。その位置から、⑴が堺南庄鎮守・開口神社の神宮寺(大寺)、⑶が堺北庄鎮守・菅原神社の神宮寺(常楽寺)であろう。⑵⑷については描かれた位置にふさわしい寺が、「元禄二年堺大絵図」(国立歴史民俗博物館蔵、堺市博物館蔵)には見当たらない。「元禄二年堺大絵図」は復興後の堺の詳細― 293 ―― 293 ―

元のページ  ../index.html#305

このブックを見る