鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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(6)摂津国名所港津図屏風 六曲一双 堺市博物館蔵(7)京・大坂図屏風 六曲一双 サントリー美術館蔵じ頃とされる素朴な筆致の作(注19)。摂津国の海沿いの町や寺社を描く名所図。京狩野派の図様の引用が指摘される(注20)。筵帆と木綿帆の船が混じり、17世紀中後期の景観、制作と思われる。右隻第二・三扇の境目に住吉大社を北側から描き、金雲を隔てて第一扇に堺の町と材木の置かれた浜を描く〔図11〕。住吉祭は描かれない。左隻に京都、右隻に大坂を描く名所図。右隻第一扇中央に住吉大社を描き、社前から続く紀州街道の南端として第一扇上部に堺の町を描く。住吉祭は描かれない。景観は17世紀中頃から大和川付け替えの宝永元年(1703)以前、制作も18世紀初頭頃と考えられている。(1)~(7)において、住吉祭の有無にかかわらず、堺は画面右端に配置され、慶長期から17世紀を通して住吉大社や大坂が描かれる際に周縁的なモチーフとして表わされていることがわかる。住吉大社は古くから絵画化されてきたが、堺とともに表わされることはなく、(3)のような作は堺の都市的発展にともなって生まれたと思われる。しかし7作とも堺の町の景観描写は簡略で、堺を示すモチーフは(6)に材木が描かれるくらいである。住吉祭については、(4)・(5)では大坂城下の賑わいの一つとして描かれており、住吉祭をテーマとして、大坂を描くことなく堺とともに描いたのは、(1)・(2)・堺市博本の工房、そしてアジア美術館本に特殊なことであったといえる。堺は都市図として単独の主題となるには至らず、堺市博本とアジア美術館本において、左隻の住吉大社と対峙され、住吉祭を主題とする都市祭礼図の形で右隻に表わされたのが絵画における最大の扱いであったと現存作品からはいえる。堺の町をこのように大きく描く二つの住吉祭礼図の誕生には何か制作動機となる特別な事象があったのかもしれない。6.おわりに以上、堺市博本とアジア美術館本、二つの住吉祭礼図屏風について考察を試みた。アジア美術館本の筆者や先行図様の問題、両作の具体的な制作動機など、多くの課題― 298 ―― 298 ―

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