鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴小出英詞「住吉祭・神輿渡御の今昔をながめて」堺市地域文化遺産活性化実行委員会『住吉を残すことになった。アジア美術館本には本報告で注目したもの以外にも検討すべき多くの描写内容がある。今後さらに考察を進めていきたい。祭・神輿渡御と堺(住吉祭・神輿渡御記録作成・調査研究事業報告書)』51~55頁⑵サンフランシスコ・アジア美術館学芸部長ローラ・アレン氏のご教示による。⑶日本経済新聞大阪本社文化事業部編『近世初期風俗画名作展目録』1970年。所蔵者名は記載されていない。⑷永井規男・谷直樹「中世堺の町なみについて」『堺市博物館報』第1号、1982年、6~29頁⑸知念理「個人蔵「厳島・住吉祭礼図」─堺市博物館蔵「住吉祭礼図」のその後─」『広島県立美術館 研究紀要』第7号、2004年、39~46頁⑹知念理「〔厳島図障屏画一覧〕補遺」『広島県立美術館 研究紀要』第8号、2005年、1~5頁知念理「住吉絵 断章」大阪市立美術館『特別展 住吉さん 住吉大社1800年の歴史と美術』2010年、222~225頁⑺大塚活美「江戸時代の洛中洛外図の主題と構図について─二条城前の行列を手掛かりに─」『歴史評論』第621号、2002年、65~83頁⑻谷直樹・深田智恵子編『大坂の陣と大坂城・四天王寺・住吉大社の建築 世界遺産をつくった大工棟梁─中井大和守の仕事(Ⅱ)』大阪市立住まいのミュージアム、2012年⑼昭和初年頃の『堺市史』編纂準備時に模写された縮尺四分の一の絵図。当時菅原神社所蔵だった原本は現在所在不明。⑽土佐光起筆「大寺縁起」(元禄3年 開口神社蔵)は天正年間に火災に遭った原本をもとに制作されたが、大寺の塔は多宝塔として描かれる。また同縁起の下絵(堺市博物館蔵)には完成作に無い「大寺本社当時」と記された簡略な境内図が含まれ、同図には多宝塔らしき塔の図示と「二重ノ丸塔」との墨書がある。⑾開口神社社務所編『開口神社史料』開口神社、1975年⑿丸山俊明「町屋の二階建てに関する規制と命令」『日本建築学会計画系論文集』第74巻第645号、2009年、2501~2506頁⒀前掲注⑷⒁吉田豊「住吉祭礼図絵の行列について」『すみのえ』181号、1986年、20~29頁/黒田一充「放逐されるヨリマシ」森隆男編『民俗儀礼の世界』清文堂出版、2002年、65~79頁/浦井祥子「住吉大社における荒和大祓の神事をめぐって」薗田稔・福原敏男編『祭礼と芸能の文化史』思文閣出版、2003年、223~256頁/黒田一充「祭礼図に描かれた住吉祭」注⑴前掲書、235~249頁/等⒂梅園惟朝『住吉松葉大記』等⒃大澤研一「中世堺と材木流通」『堺市博物館報』第28号、2009年、2~12頁⒄前田麻衣子「風俗図屏風」『国華』第1236号、1998年、17~20頁⒅高橋隆博編『新発見 豊臣期大坂図屏風』清文堂出版、2010年/松島仁「豊臣、その失われた風景を求めて─「洛中洛外図屏風」と「豊国大明神像」をめぐる試論─」『聚美』第11号、2014年、24~39頁― 299 ―― 299 ―

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