鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉘ 池大雅研究─山形県内の作品を中心に─研 究 者:元大阪大学大学院 文学研究科 招へい研究員  濱 住 真 有はじめに山形県内には、池大雅(1723-76)の作品が多く所蔵されている。その中で注目されるのが、明和8年(1771)に寒河江(山形県寒河江市)の安孫子東岡が伊勢参りの帰りに京都の大雅を訪ね、絵を依頼し、郷里に持ち帰ったと伝わる作品群と、寒河江の医師・山村玄悦の長男で、蓼太門の俳人であった月巣(1720-85)が着賛した「芭蕉像」〔個人蔵、図1〕である。月巣の父玄悦は吾竹の俳号で知られる俳人でもあり、東岡(のち美濃派の俳人として郷里で活躍)、東岡の弟千長とともに大雅を訪ねたとみられる。本稿は「芭蕉像」(以下本図)に焦点を当てて研究成果を報告する(注1)。本図については俳諧研究の方面から、杉風が描いた端座の追善供養像として描かれた芭蕉像の系統であることが指摘されている。しかしこの系統の芭蕉像が描かれた理由や、芭蕉像としての本図の意義、着賛内容、着賛時期、大雅と月巣の関係性については明らかにされていない点が多い。本研究では、大雅と縁の深かった雙林寺(京都)という場とそこで行われた芭蕉顕彰の行事、墨直しに注目して制作背景を探る。雙林寺で墨直しを行った彭城百川の芭蕉像、杉風系統の追善供養像や、杉風の描く脇息にもたれる芭蕉像との関係性も明らかにした上で、安永4年(1775)前後に制作された可能性を指摘したい。一、大雅筆・月巣賛「芭蕉像」の基本事項〈作品に関して〉本図は、縦105.8×横39.7cm、紙本墨画淡彩の掛幅である。昭和28年(1953)に山形県の有形文化財に指定されている。芭蕉は、向かって斜め左方向を向いて敷物に座り、やや遠くを見遣る。顔には淡墨が効果的に用いられ、眉、眼の窪み、髭などを表し、その上から濃墨線で、眼、鼻、耳、唇、顎などを細やかに描き出す(注2)。一方衣文線は多くかつ太く表される。これは賛にある「やせ(痩せ)し」の表現ではないかと思われた。芭蕉の肩より少し低い位置から「芭蕉翁」と題し、像を挟んで下方に「無名寫」と署名し、印章は「霞樵」(朱文楕円連印)を捺す。月巣の句賛は「月はなを荷ふて/やせし/翁かな」で、「月巣敬書」と記す。印章は、順に「佛足」(朱文円印)、「石交」(白文方印)と読んだ。― 304 ―― 304 ―

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