注⑴1914年4月から7月にかけて私家版の6冊が制作され、1914年9月から翌年11月にかけて洛陽⑷Kirschbaum, E. (Hrsg.), Lexikon der Christlichen Ikonographie, Bd. 3, Rome: Herder, 1994, S. 525.⑸ebd., S. 519-521.⑹桑原規子『恩地孝四郎研究─版画のモダニズム』せりか書房、2012年、87-88頁。⑺井上芳子「『月映』ノート─百年の青春」『『月映』』展図録、和歌山県立近代美術館他、2014年、リア像から、恩地が着想を得た可能性も考えられる。1912年から翌年にかけて『新人』で連載されたメーテルランクの戯曲には、マグダラのマリアがイエスの受難の姿を幻視するような場面の描写が含まれていた(注22)。こうしたことからも、本作品が、同時代の様々な文学から得た着想をもとに構想されたことが分かるだろう。様々な絵画的効果が工夫されたこの絵のキリストとマリアは男と女、死者と生者の対照性を象徴しており、共感と祈りを表し、幻影と結びつく十字架によって、両者は媒介されているのだ。おわりに第1章では、本作品の成立背景として、白秋の詩と『白樺』の思想について考察した。幻影的表現と結びつく十字架における内面のイメージの象徴は、恩地における白秋の南蛮詩の再解釈を示す。また、恩地はキリストを世俗的人間像で捉え、キリストとマグダラのマリアを理想のカップルとみなす『白樺』の発想を共有したと考えられる。第2章では、「生と死の対照性」のテーマを表すために、恩地が本作品のキリストとマリアを対比的に描いたことを検証した。1910年代前半には萬鐵五郎や岸田劉生らが磔刑図やアダムとエヴァの物語に取材した作品を描いているが、聖書の登場人物に自己を重ねようとする大正期のキリスト教表現には、キリスト教モティーフを介した個性や内面の表出といった特徴が認められる。『白樺』の思想を受容した恩地の本作品は、萬や岸田の表現とともに、こうした傾向のなかに位置づけることができるだろう。とりわけ恩地における自由なキリスト教表現は、彼が聖書や特定のキリスト教美術よりも同時代の文学や美術批評からキリスト教イメージを受容し、再解釈して描いたことを示しているのである。堂より7冊が公刊された。⑵『恩地孝四郎版画集』(形象社、1975)でのChrist and Virgin Maryの英題は、画家の死後カタログ・レゾネを作成する際に本作品に付されたもので、恩地本人によるものではないと考えられる。⑶「受難〔イエスの〕」、上智学院新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』第3巻、研究社、2002年、223-226頁。「昇天〔キリストの〕」、前掲書、283-285頁。― 20 ―― 20 ―
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