鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉙ 戦時下における画家たちの西洋古典絵画への憧憬─麻生三郎を中心に─研 究 者:板橋区立美術館 学芸員  弘 中 智 子はじめに私のうちでギリシアへの憧憬が信仰にまで高まってくる。人間らしい喜びというものを私はヨーロッパで知ったしヨーロッパの土地でこそ古典復興という運動の繰り返しを肉体的に知ることが出来た(注1)。麻生三郎(1913-2000)は昭和13年(1938)にヨーロッパに滞在した際の感想をこのようにまとめた。新たな美術動向も生まれていたヨーロッパで、当時25歳の彼が感動を持って学んだのは古代ギリシアの美、西洋の古典絵画であった。麻生のヨーロッパ、具体的にはフランス、ベルギー、イタリアの滞在は1938年の2月から9月までの約半年である。麻生の戦前の作品や資料の大半は戦災で失われたため、ヨーロッパ滞在、そして滞在中に見ることのできた西洋古典絵画についてもこれまでまとめて検証されることがなかった。しかし、麻生が戦後もこの滞在中に見た西洋の古典絵画を語り、考えを深めることで自身の作品に還元させていたことを鑑みると、彼の西洋絵画体験をまとめることには意義がある。本研究では、まず彼が雑誌で発表した「巴里日記」「イタリー紀行」、「イタリー紀行」を元にした『イタリア紀行』から麻生のヨーロッパでの足跡を辿る(注2)。次に渡欧前とヨーロッパ滞在中に買い求めた西洋絵画の画集を調査した。そして帰国後、麻生が西洋絵画に関して考えたことを画友の吉井忠の日記やその後の麻生の回想から確認した(注3)。麻生の言葉と作品から、西洋古典絵画の影響を探すことにより、彼の戦前期の絵画思考の形成について明らかにしたい。第1章 1938年のヨーロッパ滞在まず、麻生が西洋絵画に関心を持った経緯を確認する。麻生が少年、青年時代を過ごした1920年から30年代にかけての日本では西洋美術の作品が実物、そして図版で次々に紹介されつつある時代でもあった。麻生は東京生まれだが、回想や略歴を確認すると、ヨーロッパの伝統、思想や美術と触れることのできる環境で育ったことがわかる。生家は築地の外国人居留地に近く、彼は西洋の人々の暮らしを眺め、イーゼル― 315 ―― 315 ―

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