鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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前には褐色で細い素材を組み合わせた立体が4つ描かれている。砂浜のざらざらとした肌触り、湿気を含んだ重い空気、長い時間を浜辺で過ごした赤い立体物のくたびれた質感が再現されており、静的である。一方の《馬と人》は現存しないが、ひっくり返された馬の下半身と人の腕や足のようなものが接続されている。得体の知れない生き物がうごめくように描かれたこの作品は、動的に迫ってくる。「無機的レアリテ」と「有機的レアリテ」が共存した作品のひとつに昭和12年(1937)の《狂人の家》〔図3〕がある。人間が絡み合う姿が手前にあり、アーチが特徴的な回廊が描かれたこの作品は、そのタイトルが示唆するように、ゴヤが精神病院を描いた一連の作品に着想を得たものと考えられる。麻生は赤を基調にして、人と人との境界が曖昧になるほどもつれた姿で描いている。人体が絡み合う様は《馬と人》から繋がり、背景の無機的な建物は《海》に通じる。「たいへん不安定な精神であった」頃に描いたこの作品の中で麻生は画集や美術雑誌を通じて見たゴヤの作品に共感しつつ、自身の軸を確立しようと試みている。アプローチの異なるふたつのタイプの絵画を同時に進めていた彼は、問題解決の糸口を探るためにヨーロッパへと向かった。続いて麻生が帰国後に雑誌に発表した「巴里日記」「イタリア紀行」を中心にヨーロッパでの足跡を確認する。尚、渡欧中に友人の安孫子眞人とベルギーを訪れた時期はこれまで不明だったが、今回、友人で画家の寺田政明宛の手紙を板橋区立美術館の所蔵資料に発見したことで8月28日頃であることが判明した。麻生の渡欧中の行き先を日付、訪れた場所、目にした作品を確認した。それにより彼がシュルレアリスムなどの前衛絵画よりも西洋の古典絵画、彫刻を見て回っていたことが分かる。そして回想の多くは、絵画の技法に関するものである。例えば《最後の晩餐》について「壁画ではあるが、彼の心の明暗が画面の明暗になって一番上層部は暗くそして一枚くらさをはげば明るさとなりそして再び暗きものとなる」、ポルディ・ペェッゾリ美術館のポライウォロによる女性の肖像画について「技術的に要領のいい作品で美しいのに驚く、やはりこの下地も白である。勿論板、バックの蒼穹のブルーが寧ろ厚く盛り上がって顔の線を生かしている」と述べるなど、麻生が作品をただ表面的に見たのではなく、その内に込められた画家たちの想いや表現方法を直に学ぼうとしている様子が読み取れる(注7)。麻生が修得しようと試みたのは、絵画の技法だけではなかった。冒頭の引用にもあるように、彼は古代ギリシア以降、脈々と受け継がれてきた美意識、美の伝統を西洋のあらゆるものに感じ取った。麻生にとって古代ギリシアとは「ヨーロッパの古典的― 317 ―― 317 ―

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