な美意識、審美的な無機的な美」だという(注8)。麻生は古代ギリシアの芸術によって「美の要素を自然から選び出していて自然から切りはなした美があること」に気づかされ、「それ(筆者註:美)を発見し発展させたし、人力がどこまでも生長するといった宇宙的な彼等の考えがすきだ」と述べている(注9)。それは同時代の西洋の画家たちの作品にも見出すことができた。3月29日に画廊を訪ね歩いた際「レヂェーは良かった。日本で考えているようなものではなかった。彼はギリシアを狙っている」と述べている(注10)。西洋の美術館や寺院を訪ね歩くうちに麻生は「自分は決定的にギリシアを知つたからにはギリシアに生きる道を進まなくてはならぬ。ギリシア美を知らぬ前は生を本能を喜びをも知らぬ」と決意した(注11)。彼は次のように続けている。結論として芸術性の問題だけが遺るのだと言ふことが分つた。そしてギリシア的な無性格なものから延びたルネツサンスの思想が生々しく自分のものとして考へられてくるやうになつた。ヘレニステイクな性格の獲得が現在の自分にとつて一番必要な努力であると思へた。そしてあの性のない無表情なギリシアの芸術に迫りたいのである(注12)。麻生による旅の総括を読むと、麻生がヨーロッパに旅立つ前に問題として抱えていた対立する概念、「無機的レアリテ」と「有機的レアリテ」を彼は「ギリシア」そして「ルネサンス」およびそれ以降の美との比較から解決した。それは次章で検証する彼が長く手元に置いていた西洋美術の画集からも明らかである。第2章 麻生が所有していた戦前に刊行された西洋絵画の画集今回、調査させていただいた画集は麻生マユ氏によると親戚の家に預けられて戦災を逃れたという。これらが麻生の戦前の西洋絵画の情報源の全てであったとは必ずしも言えないが、青年期から晩年まで長く手元に置いていた画集として記録し、考察する意義はある。西洋絵画の画集、全30冊のタイトルと購入した日付や場所などの書き込みについては〔表1〕のとおりにまとめた。いずれも出版年は1910から30年代にかけての本である。ルーブル美術館のギリシア彫刻、ウッチェロ、マザッチオといったイタリアの画家、ゴッホやピカソまで時代を超えて幅広く関心を持っていたようだ。いずれも読みこんだ跡があり、角が丸く、一部のページは外れている。フランス語、ドイツ語の解― 318 ―― 318 ―
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