鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
334/602

注⑴麻生三郎『イタリア紀行』越後屋書房、1943年、『絵そして人、時』中央公論美術出版、1994年、うと試みていたことが見えてくる。おわりに麻生の戦前・戦中期の作品を西洋古典絵画との関係から考えていくと、構図や描法といった形式的なものではなく、絵画のあり方について大きな影響を受けていたことがわかる。ヨーロッパからの帰国後も「かつてヨーロッパで感動したギリシアとキリスト教芸術の質のまったくちがった二つの存在」を思い浮かべながら「わたしはこのわたしの住んでいるこの現実に、この現実を、このように生きようと思ったまでだ」と決意した彼は戦時下の日本という現実を客観的に見ることができた(注19)。彼は「特殊な現実の混乱と矛盾のなかで自分の伝統をつくることがわたしの生活であると確実に思いつめていた」と考えていた故に、あらゆるものが戦時体制に組み込まれ、自己が失われつつあるなかで、自己と他を冷静に見つめて描き続けることができたのだ(注20)。美術評論家の桑原住雄は「麻生氏の仕事の堅固さは、新人画会結成の前後に既に築かれていたものである」と指摘している(注21)。本研究では戦前から戦中までの限られた時期の作品を見てきたが、本研究をふまえて戦後、亡くなるまで「人間のいる絵」を追い続けた麻生の作品の意味を明らかにしていく必要がある。謝辞 本調査では麻生マユ氏にご協力を賜りました。御礼申し上げます。297-198頁。⑵麻生三郎「イタリー紀行」『詩と美術』1-2から1-5に4回連載、1939年9月から12月。麻生三郎「巴里日記」『三藝』1、三藝書房、1940年12月、46-50頁。⑶吉井忠「日記」『池袋モンパルナス展』図録、板橋区立美術館、2011年。⑷麻生マユ「麻生三郎ノート(私の視点から)」『麻生三郎 全油彩』中央公論美術出版、2007年、14頁。⑸麻生三郎「私と私以外のものとの関係」『美術ジャーナル』10号、1960年7月。⑹麻生三郎「自然への問いかけ自然からの問いかけ」『みづゑ』854号、1976年5月。⑺麻生三郎『イタリア紀行』『絵そして人、時』、227-228頁、232頁。⑻麻生三郎「私と私以外のものとの関係」同上。⑼麻生三郎『イタリア紀行』『絵そして人、時』、227-228頁、291頁。⑽麻生三郎「巴里日記」同上。⑾麻生三郎「イタリー紀行」1-5、95頁。― 322 ―― 322 ―

元のページ  ../index.html#334

このブックを見る