鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉛ グエルチーノによるピアチェンツァ大聖堂クーポラ装飾研究【はじめに】― 339 ―― 339 ―研 究 者: 公益財団法人大原美術館 学芸員 神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期課程  大 塚 優 美17世紀イタリアで活躍したボローニャ派の画家ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ、通称グエルチーノ(1591−1666)は、1626年から1627年にかけてイタリア北東部に位置する都市ピアチェンツァの司教座大聖堂クーポラ天井部にフレスコ装飾を行った〔図1、表1〕。これは当時の司教ジョヴァンニ・リナーティによるクーポラ装飾事業の一部で、司教座聖堂参事会から依頼を受けての制作である(注1)。本装飾が手掛けられたのは、グエルチーノの画風が初期のバロック的様式の顕著なものから後期の古典主義的傾向の強い様式へと変化するいわゆる移行期(1623−1629)で、グエルチーノ研究の第一人者デニス・マーンによって、古典主義的傾向が明確に表われた最初期の作例と記述されて以降、研究者たちの注目を集めてきた(注2)。また、早い段階でプリスコ・バーニが、広範な一次史料と関連素描の収集に基づいて本装飾の注文経緯と制作過程を詳細に再構築したことも合わさり、様式論的観点からの研究が重ねられている(注3)。ただし、図像学的観点からの考察には乏しく、本装飾の視覚的影響源としてわずかにミケランジェロ、ラファエロ、コレッジョ、パルミジャニーノの名が挙げられているだけであり(注4)、いまだ検討の余地が残されている。また、聖堂装飾であるにもかかわらず、図像の解釈に関する詳しい言及は、2017年に本装飾を中心にひらかれた「グエルチーノ:聖俗のはざまで」展まで待たねばならなかった。ここでは、本装飾事業が聖堂内の空間をトレント公会議の理念に沿った空間へ調整するために行われたことや、装飾全体では「聖母崇敬」や「キリストの受肉」を示すことなどが指摘されたが(注5)、展覧会評が示したように、こうした解釈は描かれた主題や画中のラテン語銘文の読解のみから得られた一般的なものであり、同時代的文脈に沿った個々の図像内容の検討はいまだ不十分な状態にある(注6)。したがって本稿では、ひときわ大きく描かれた「預言者」と「シビュラ」の描写に着目して、先行作例との比較を通じ具体的な視覚的影響源を指摘することで、グエルチーノが本装飾で古典主義的傾向を見せた要因を図像学的観点から補強する。また、本装飾の同時代的文脈に照らした解釈を進めるため、これまで詳細に検討されること

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