鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
352/602

【図像の特色と様式変遷─先行作例との比較を通じて】のなかったヘブライ文字と「N」から始まるダミー文による画中銘文と、シビュラ主題の表現に着目して考察する。先述したように、預言者およびシビュラの図像に関しては、参考にした可能性のある画家としてミケランジェロ、ラファエロ、コレッジョ、パルミジャニーノの名がこれまで挙げられてきたが、具体的な作例については言及がみられなかった。そのため、まずは彼らの同主題作例との比較をしてみると、グエルチーノは両主題において、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画における預言者とシビュラの像から、もっとも顕著にポーズを引用していることが分かる〔図2〕。そもそも預言者とシビュラという主題は、ミケランジェロがそれらをシスティーナ礼拝堂天井に描いて以降、新たに制作される作品の大部分は彼の図像を引用・踏襲している。ラファエロでさえ、ローマのサンタゴスティーノ聖堂に描いた《イザヤ》〔図3〕はミケランジェロの様式に近づけているし(注7)、コレッジョもサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂クーポラに十二使徒の座像を描く際、別主題にもかかわらず図像を転用しているため〔図4〕(注8)、先行研究において、ミケランジェロのほかに彼らの名が挙げられているのはこうした事情によるものだろう。以上のことに鑑みれば、グエルチーノがミケランジェロに倣ったのは当然であり、本装飾の影響源を十分に理解するには比較対象を広げるべきといえる。例えば、グエルチーノの図像にさらに近い要素を持つ先行作例として、レッジョ・エミリアのラ・マドンナ・デッラ・ギアーラ聖堂ブラーミ礼拝堂ペンデンティブにアレッサンドロ・ティアリーニが描いたシビュラ〔図5〕(注9)と、ピアチェンツァ司教座聖堂のすぐ傍に位置するサン・フランチェスコ聖堂無原罪懐胎礼拝堂ペンデンティブにマロッソが描いたシビュラ〔図6〕(注10)が挙げられる。彼らもミケランジェロからポーズ等を引用しているが、次の二点は彼らとグエルチーノのみの共通点であるため、直接参照した可能性が指摘できる。それは、全員が若い女性である点と、控えめに何かを踏む描写という点である。何かを踏む描写とは、グエルチーノが《イザヤ》の下に描いた、向かって右側のシビュラの足もとの表現で、彼らの作例にもほぼ同じものが見受けられる〔図7〕。とくに、ティアリーニのものに関しては実見できる機会が幾度もあり(注11)、グエルチーノ自身、1625年にはギアーラ聖堂のために磔刑図を制作している(注12)。この磔刑図にティアリーニとの類似性を見てとる研究者もおり(注13)、シビュラ像についても参照した可能性は十分あるだろう。― 340 ―― 340 ―

元のページ  ../index.html#352

このブックを見る