鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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【画中銘文】また、グエルチーノの預言者およびシビュラの描写の特色としてしばしば指摘される「煌びやかな衣服」や、画家の情熱や創造力の豊かさを示すものとみなされてきたシビュラの入念な描き分け(注14)についても再検討が必要だろう。たしかに、一般的に聖堂内に描かれるシビュラは、先に挙げた作例も含め、多少の宝飾品があっても無地の布地を身に纏うものであり、グエルチーノの作例のように、文様の折り込まれた豪奢な布地や毛皮の付いたガウンを着せることは稀である。しかし、こうした表現にも視覚的影響源と思われる作例が存在する。たとえば、バッチョ・バルディーニの版画集「12人のシビュラ」はそれぞれに異なった衣装を着せている(注15)。とくに《ティブルのシビュラ》〔図8〕は、珍しく毛皮のガウンを着用しており興味深い。また、ヴェロネーゼは文様入りの衣装でシビュラをヴェネツィアのサン・セバスティアーノ聖堂身廊側壁に描いている〔図9〕(注16)。グエルチーノと同時代の作例としては、ドメニキーノが描いた《クマエのシビュラ》〔図10〕(注17)も、煌びやかな衣装が特徴的だ。また、ドメニキーノは聖堂内装飾においても華やかな衣装を人物に着せることがあり、グエルチーノはこうしたものも学習していたのだろう(注18)。以上、比較対象を広げて検討した結果、ひとまず預言者とシビュラの部分においてグエルチーノは、ローマ滞在期の経験と、直近の記憶および地理的により近い場所にある作例を学習し、人物像を作り上げていることが分かった。とくに同時代よりもやや古い作例も参照していることは、様式移行の一因となったのではないだろうか。また、ピアチェンツァ市内の作例が参照されていることからは、司教座聖堂クーポラ装飾の主たる観者となる市民を意識し、彼らの趣味に沿った表現を知ろうとする意識がうかがえる。以上のような戦略的な姿勢は、本装飾内の画中銘文にも見受けられる。《エゼキエル》の石板に記されたヘブライ文字に注目してみると、「」と刻まれている。当時閲覧できたヘブライ語聖書の版〔図11〕(注19)に照らせば、前者の「」は「ヤハジエル」ではなく「(エゼキエル)」の綴り違い、後者の「」は「44」と読むべきだろう〔図12〕。数字については《エゼキエル》の画中に記されたラテン語銘文の引用箇所(注20)を示しており、ヘブライ語の素養がある人物ならば理解できたと考えられる。16世紀後半のローマでは、聖書の言葉としてのヘブライ語の学習が聖職者だけでな― 341 ―― 341 ―

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