注⑴ この装飾は元来、1625年にピエルフランチェスコ・マッツッケリ、通称モラッツォーネへと注文されたものであったが、《ダヴィデ》と《イザヤ》を描いた時点で急死したため、グエルチーノへ新たに依頼しなおされたものである。三角形が八つ集まったかたちの天井部には、各区画にひとりずつ旧約の預言者が描かれ、その下部に位置する八つのルネッタには、その半数にキリスト降誕伝が、もう半数には二人一組の《シビュラ》が描かれ、これら二つのテーマが交互に配置される。本クーポラ装飾の基礎情報は、P. BAGNI, Guercino a Piacenza: gli affreschi nella cupola della Cattedrale, Bologna, 1983; P. BAGNI, Gli affreschi del Guercino nel duomo di Piacenza, Piacenza, 1994.⑷ SGARBI, op. cit., 1991, pp. 50-57.⑸ S. PIGHI, “Guercino a Piacenza” in Guercino: tra sacro e profano, cat. mostra [Piacenza, Cattedrale di Piacenza e Palazzo Farnese], a cura di D. BENATI, Milano, 2017, pp. 48-57; M. FERRARI, “ Guercino ⑵ グエルチーノの初期様式とそれ以降の変遷については、D. MAHON, Studies in Seicento Art and Theory, London, 1947.⑶ BAGNI, op. cit., 1983. 主な先行研究は、L. SALERNO, I dipinti del Guercino, Roma, 1988, pp. 195-206; D. M. STONE, Guercino: catalogo completo dei dipinti, Firenze, 1991, pp. 9-10, 131-132; V. SGARBI, “Il Guercino a Piacenza” in Notte e giorno dʼintorno girando..., Milano, 1991, pp. 50-57; N. TURNER, The Paintings of Guercino: A Revised and Expanded Catalogue Raisonné, Roma, 2017, pp. 89-90, 424-425.【おわりに】うにカトリック側においても、聖堂内にシビュラを描くべきか判断が難しい状況にあったことを示す一例としても重要だと思われる。グエルチーノが手掛けたピアチェンツァ司教座聖堂クーポラ天井装飾のうち、預言者とシビュラについて、先行作例との比較によって新しい視覚的着想源を指摘した。そして、着想源となった作例がグエルチーノよりも少し古い時代のものであったことが、本装飾にて古典主義的様式へ移行を見せた要因の一つであった可能性を挙げた。また、先行研究において十分に検討されていなかった、個々の図像内容と同時代的文脈の関連について、シビュラという、図像プログラム上では副次的である存在に大きな空間が割かれていることに注目して検討した。その結果、シビュラという主題そのものが、1599年の反駁を起点にプロテスタントからの執拗な攻撃が始まったことを受け、新たにカトリック側も公会議直後と同様の姿勢でもって、シビュラの価値を認め謳う描写に変える必要があったと推察される。それは本装飾におけるシビュラの描写のみならず、17世紀イタリアにおける同主題のタブロー画の発生にも関係していると思われるのだ。― 345 ―― 345 ―
元のページ ../index.html#357