鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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③江戸の材木商・冬木家の美術品移動に関する総合的研究研 究 者:梅花女子大学 非常勤講師  宮 武 慶 之はじめに江戸の材木商冬木屋は江戸時代を通じて上田氏を名乗り、明治維新に際し冬木氏に改姓した。本稿では江戸時代の同家の活動を論じるため、冬木屋上田氏に統一する。冬木屋は尾形光琳(1658-1716)、弟の乾山(1663-1743)との関係からしばしば論じられ、福井利吉郎(1886-1972)は『史林』(1918)のなかで「単に少数の冬木氏伝来の遺品以外記録によつて確める事も出来ない」と述べている(注1)。冬木屋当主と光琳や乾山に関係する直接的な作品や資料が確認できず以後、研究の進展はみられない。光琳と冬木屋との関係について『光琳派画集(二巻)』(1903)の中で、秋草模様衣裳すなわち現在、東京国立博物館が所蔵する「冬木小袖」〔図1〕の解説中、「光琳嘗て京都を追放せされて江戸に下るや、即ち萬年町なる冬木氏の別墅に寓し、其間同家の為めに霊腕を揮ひたるもの頗る多く、随て維新前後に至るまで同家の所蔵したる光琳の遺蹟は實に夥多なりしと云ふ」と述べられている(注2)。光琳が冬木屋に寄寓した点および、明治維新に至るまで多くの作品を所持したとする伝聞がある。現在の冬木家の教示でも、やはり明治維新ごろに所蔵した道具を売却していたとの伝承があるため、幕末時点での冬木屋が所蔵した作品を明確にすることが課題となる。そこで本稿では冬木屋が江戸時代後期に所蔵した光琳および乾山作品に注目し、残照を論じることとする。江戸時代後期の冬木屋が所蔵した作品について、喜田武清(1776-1856)が文政五年(壬午/1822)に実見した作品の記録となる「武清縮図」(東京文化財研究所蔵)および梅之房教覚(勝田亀岳/1814-1862)により嘉永三年(1850)に冬木屋本家で拝見した記録となる『宇米廼記』(東北大学附属図書館蔵)の二件の資料に着目し、当時の冬木屋所蔵品から光琳に関係する作品を明確にする。また冬木屋および地廻り酒問屋の鴻池屋永岡家、油問屋の大阪屋松澤家が所蔵した光琳作品との関連から、江戸時代後期の冬木屋の位置を考察する。一 冬木屋の所蔵品にみる光琳関係作品江戸時代後期の冬木屋本家当主について述べておくと、文化期および文政期の当主は七代目喜平次(1788-1830)、天保期の当主は八代目喜平次(敬親/1809-1849)、嘉永期の当主は九代目喜平次(1835-1869)となる。以上の時期で所蔵が確認できる作― 25 ―― 25 ―

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