注⑴主な研究としては以下があげられる。最後に、本書奥付には職人「彫工 緑交堂東英」、「摺工 靍窗南李」、そして蔵板者として「遊狸園兔舟」(印章二顆「田邊氏」「宜□之印」)の名が記される。本作の制作に重要な役割を果たした人物と言えるが、現時点では他の作品に三者の名は見いだせず詳細は不明である。ただしこの点にも、本書が異例な存在であることが示されるように思われる。収録する絵の内容の検討については序跋の依頼以前から時間をかけて行われたであろうし、初版の手間の掛かりようからはコストも膨大であったと想像される。浮世絵史における彫摺の展開を考える上でも重要な作品だが、石燕にとっても他方面の文化人に協力を請うなど、並々ならぬ意欲をもって取り掛かった、画業の画期をなす記念碑的な作品であったと言えるだろう。おわりに鈴木重三氏は、絵俳書『山の幸』(明和二年[1765])が喜多川歌麿の狂歌絵本『絵本虫撰』(天明八年[1788])に影響を与えた可能性を指摘されている(注28)。また18世紀の色摺の発展において、絵俳書が果たした役割は非常に大きい(注29)。『鳥山彦』は絵手本の体裁をとるが、石燕が深く俳諧に親しんでいたことを鑑みれば、絵俳書で達成された彫摺技術の精華を自身の著作に持ち込もうと企てたことは想像に難くない。俳諧、絵画、生花と横断的に雅事を嗜んだ石燕の仕事は、以後の浮世絵にさらなる豊かさをもたらしたと言えるのではないだろうか。①兼子伴雨「鳥山石燕之墓」『見ぬ世の友』10、1901年。②紅樹「石燕と蓼太」『正始』5、1914年。③梅本毎木「列伝体浮世絵史(一)(二)石燕と其門人」『江戸趣味』1・2、1916年。④武田酔霞「鳥山石燕墳墓並に扁額に就いて」『浮世絵』52、1920年。⑤ 島田筑波「石燕の芭蕉像」『浮世絵芸術』4-10、1935年(『島田筑波集』上、青裳堂書店、1986年再録)。⑥星野朝陽「鳥山石燕に就いて」『書画骨董雑誌』293、1932年。⑦楢崎宗重「鳥山石燕の扁額─没年のことなど─」『浮世絵芸術』4-10、1935年。⑧同「石燕挿絵 歳旦集無題」『浮世絵界』1-1、1936年。⑨高木彌久「続浮世絵界探索」『浮世絵界』2-1、1937年。⑩南青山「鳥山石燕逸話」『伝記』6-5、1939年。⑵楢崎宗重編『肉筆浮世絵 6 歌麿』集英社、1981年。⑶永田生慈「鳥山石燕について─付・鈴木鄰松」『歌麿と北斎』太田記念美術館、2001年。「鳥山― 358 ―― 358 ―
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