前掲注⑵。 本図の存在自体については前掲注⑴⑥に指摘がある。 浅野秀剛「百鬼夜行図巻」作品解説『ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展 江戸の誘惑』朝日新 本図については梅沢恵「鬼子母神堂所蔵 鳥山石燕筆大森彦七図絵馬」『雑司ヶ谷鬼子母神堂 岡本祐美「鯉図」作品解説『麻布美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展』麻布美術館、1988年。 前傾注⑷。 『加藤枝直日記』は以下を参照。服部仁・服部直子・加藤弓枝「翻刻『加藤枝直日記』(一)~(十四)」『東海近世』18~24号、『同朋文化』37~44号、2009~2016年。とくに『東海近世』22号、80頁、『同朋文化』10号、10頁参照。 鈴木重三「歌麿絵本の分析及考察」『浮世絵芸術』89号、1964年。石燕とその一門について」『宗教社会史研究』3、雄山閣出版、2005年。⑷浅野秀剛①「鳥山彦(石燕画譜)」『秘蔵浮世絵大観 3 大英博物館Ⅲ』講談社、1988年。②「天明期の歌麿」『國華』1229、1998年。③「鳥山石燕」項『浮世絵大辞典』2008年。⑸各歳旦帳の整理と調査はすでに浅野氏(前掲注⑷②)によって行われているのだが、俳諧における動向は石燕の画業を考える上でも重要なことから、宝暦期および『絵本年表』掲載の関連諸本を追加し改めて示した。また歳旦帳については鈴木俊幸「歌麿の初筆と生年について」『書誌学月報』30、1987年も参照。⑹前掲注⑴①。⑺前掲注⑴⑥。⑻前掲注⑷②。⑼『大田南畝全集』3、岩波書店、1987年、195頁。⑽前掲注⑴②などで存在自体は指摘されてきた。⑾前掲注⑴⑥。⑿『花道古書集成』1-3、4、大日本華道会、1930年参照。同書によれば安永四年刊『生花百枝折』前後編二冊のうち前編は、内容が明和六年序『瓶花群載』と同じとする。そのため作品リストでも両書を併記している。⒀77歳説は前掲注⑴⑦、⑵、⑶、78歳説は前掲注⑷。⒁前掲注⑶。⒂前掲注⑴①。⒃笠付方形墓標は近世墓標として一般化しておらず、格としては高い部類に入るとされる。例えば石高四千石以下の旗本、農村部においては多く名主階級に採用されることが報告されている。『近世の墓石と墓誌を探る』立正大学博物館、2014年。池上悟『近世墓石論攷』角川文化振興財団、2021年。⒄加藤定彦、外村展子編『関東俳諧叢書30 絵俳書編4』関東俳諧叢書刊行会、2006年、306頁。⒅漆山又四郎『日本木版挿絵目録 乾 坤』(自筆本)及び『絵本年表』日本書誌学大系34-2、青裳堂書店、1983年。⒆前掲注⑴ ⑤。⒇「唐美人図」【8】は、落款「豊房図」の、書体及び「図」を用いる様式が安永以前の作品に近く、この時期の作と推定した。開堂三百五十年・重要文化財指定記念 雑司ヶ谷鬼子母神堂』勉誠出版、2016年に詳しい。聞社、2006年。― 359 ―― 359 ―
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