鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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れる。以上の点から整理すると、江戸時代後期に冬木屋が所蔵した光琳関係の作品では以下の作品を所蔵したことが確認できる。尾形光琳筆「雪竹図屏風」尾形光琳筆燕子花六曲屏風(一双)尾形光琳筆富士、松島図六曲屏風(一双) ただし安政五年以前に売却尾形光琳筆「冬木小袖」尾形乾山筆「梅松図」尾形光琳作文山吹蒔絵硯箱尾形光琳作春草蒔絵重箱当然ながら、これらの作品を所蔵し、所望に応じ拝見を許可した。このような江戸の絵師との関係は今後より詳しくする必要があるが、重要な点は当時の冬木屋がこのような作品をどのような意図で保管したのかという点である。つまり光琳関係の作品を所蔵した意義について検討する必要がある。そこで教覚による『七艸菴日記』(東北大学附属図書館蔵)中、嘉永六年六月二日条には次のような記述がある。二日晴  今日於冬木上田氏光琳忌と催也終日放出又屏風器財等見覧随楽入夜解筵当日、冬木屋上田家において光琳忌を催していたことが判明する。この光琳忌では屏風や器財が展観されたとある。この詳細は以後の日記中でも明らかにできないが、当日は当然ながら光琳による屏風や器財すなわち蒔絵や茶の湯道具が陳列されたものと考えられ、江戸時代後期の江戸において光琳の顕彰に貢献したのが、光琳に関係する作品を多く所蔵していた冬木屋本家であったことが確認できる。従来、江戸における光琳忌としては抱一による文化十二年(1815)の光琳百回忌が知られるが、以降に冬木屋が光琳忌を開催していたことは、所蔵品から先祖と光琳を顕彰する意図があったものと解することができる。この点において当時の冬木屋が没落したイメージがあったにせよ、文化の中心に近い場所で活動していたことが確認できる点で重要と位置付けられる。― 27 ―― 27 ―

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