鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉞ 平安中期における「比叡山仏所」と南都仏師の関係研 究 者:奈良国立博物館 アソシエイトフェロー  伊 藤 旭 人はじめに平安時代中期(10世紀-11世紀初頭)の造像工房をめぐっては、すでに諸先学による研究成果が発表されており、その実態が明らかになりつつある(注1)。当代はいわゆる和様化の時期にあり、著名な仏師として康尚やその子である定朝らの活躍期である。当代の彫刻作品の特徴を述べることはなかなかに難しいが、平安前期彫刻と比較して表現は穏やかとなり、また衣文線を等間隔に刻むといった形式化を見ることができるのが大きな点であろう。構造面においては、古式の一木造の流れを引き継ぐものや各部材を寄せてつくる(寄木造の前身といえる)ものなどが混在しており、同時期に造立された尊像においてもかなりの違いがみられる。当代に造立された著名な作例を挙げると、下記のとおりである。永延元年(987) 兵庫・円教寺釈迦三尊像、四天王像永祚元年(989)頃 京都・遍照寺十一面観音立像、不動明王坐像正暦元年(990)頃 奈良・法隆寺講堂薬師三尊像、四天王像正暦4年(993) 滋賀・善水寺薬師如来坐像、梵天・帝釈天像、四天王像ほか正暦5年(994)頃 京都・真正極楽寺(真如堂)阿弥陀如来立像長保元年(999) 兵庫・弥勒寺弥勒三尊像寛弘3年(1006) 京都・同聚院不動明王坐像寛弘8年(1011)頃 京都・誓願寺毘沙門天立像上に挙げた尊像の多くは、いわゆる中央仏師の活躍によるものであり、一般的に「地方仏」と通称されるような尊像についての分類は必ずしも明瞭ではない。構造面のみならず、他の時代と比較しても表現や作風に一貫性を認めることが難しく、また制作年の分かる基準となる作例も少ないため、あまり検討がなされていないのが現状である。文献史料が豊富ではなく、明確な伝来を欠いている尊像の比較検討には、様式論的分析や作風上の分析が何より重要な手がかりとなろう。本稿では、先行研究を踏まえたうえで、当代に共通する特徴をそなえる一連の作例を報告するとともに、そこに想定される人物の関係について若干の検討を加える。― 378 ―― 378 ―

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