鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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1.「比叡山仏所」の活動岩田茂樹氏は、比叡山周辺に伝来した3軀の観音立像(京都・妙傳寺十一面観音立像、滋賀・九品寺聖観音立像、滋賀・盛安寺十一面観音立像)の様式論的分析によって、比叡山に「延暦寺工房」という寺院専属型工房の存在を推定された(注2)。さらに、上記3像と同時期の作と考えられる滋賀・善水寺諸像(薬師如来坐像、梵天・帝釈天立像、四天王像)について、「八瀬(妙傳寺像を指す)・九品寺・盛安寺三像と善水寺諸像とは同系工房の作」と位置付けられた(注3)。今日滋賀県下に伝来する平安中期彫刻の中には、先に挙げた3像や善水寺諸像と作風を同じくする作例、さらには同系統の工房による造像を想起させるものやその系譜上に位置付けるべきものなどがある。筆者が着目した点のひとつに腰布の衣文表現がある。先に挙げた3軀の観音像は、いずれも裳の上に腰布を巻き付けているが、その正面にあらわされた放射状に広がる箒形の衣文表現は同時期に造像された尊像においてもあまり例を見ない。同形の表現が見られる作例を挙げると、例えば「甲賀様式」と仮称される尊像群(注4)には同形の腰布をあらわす尊像があり、そのほかでは宝暦10年(1760)に善水寺から兵庫・和田神社に移され、その後能福寺に移された十一面観音立像(注5)、さらには兵庫・円教寺大講堂釈迦三尊像(注6)のうちの右脇侍像などがある。現存作例のほとんどが滋賀県にあることから、一見すると地域内で流行した衣文表現(地方仏的な表現の一種)のようにも思える。しかし、円教寺には同時期に造像された一連の作例(釈迦三尊、四天王)を伝えており、腰布の表現以外にもさまざまな共通点を見出すことができる。奥健夫氏の見解によると、円教寺大講堂釈迦三尊像のうち両脇侍像と京都・妙法院護摩堂不動明王立像とには、①角ばった体型とプロポーション、②耳の彫法や胸・腹部の肉付け、③下半身の着衣及び衣文線などの酷似する表現が見られるほか、妙法院像の忿怒相は円教寺四天王像のうち増長天像に通ずるとの指摘がなされている(注7)。妙法院護摩堂は比叡山常住金剛院の後身といわれ、不動明王像(現妙法院護摩堂本尊)も比叡山から下ろされたと推定されている(注8)。先述した箒形をなす腰布の表現は、着衣形式の点から主に菩薩像においてのみ比較検討可能な特徴である。しかし、円教寺に伝わる釈迦三尊像と同時期の制作と考えられる作例において、像種の違いを越えて共通する作風が見出せることは、円教寺創建期の造像には妙法院像を造立した工房と同系統の工房あるいはその工房と近い関係にある工房が携わったとみるべきである。― 379 ―― 379 ―

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