鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
392/602

2.法隆寺講堂薬師三尊像以上のように、比叡山周辺寺院において散見される一定の特徴をそなえた作例が、地方の有力な天台寺院においても見出されること、さらにそれらの尊像の中には、菩薩や明王などの像種を問わず、様式や作風上酷似するものも存在する。様式や作風上の酷似は、定朝様阿弥陀如来像や清凉寺式釈迦如来像、安阿弥様阿弥陀如来像のように「原像の模刻」によって生み出される事例は時代を問わず確認できる。しかし上記に見た作例では、単に似せて造られたのではなく、同一仏師あるいは同系統の工房による作と見做される。これまでの研究成果では、「比叡山」や「甲賀地域」など地域の拠点寺院を中心とした宗教圏の枠内において検討されることが多かった。無論それはもっともなことである。しかしながら、先述したように作風上酷似する尊像の分布を広い視野で考えた結果、これらの尊像はいずれも有力な天台寺院あるいは比叡山との関わりが想定される寺院に伝来していることが指摘できる。つまり、かつて比叡山に存在した「比叡山仏所」の活動範囲は、比叡山周辺のみならず、地方の天台寺院での造像においても仏師集団を派遣することによって造像が行われた可能性が高いのではないか。当代の仏師集団の活動は一宗派に限らず、他宗派にも及ぶことが多かったといわれるが(注9)、専業仏師以外にも僧に従って仏像や仏画などの制作に手腕を発揮する「仏師僧」のような者もいたであろう(注10)。「比叡山仏所」の成立時期を考えるうえでは、『叡岳要記』承平年中に仏像修理のために3名の大仏師を「始めて」置いたという記述(注11)があるが、未だ定説が出されていない。今後、他の寺院における寺院専属型仏師の成立時期などと照らし合わせて研究していくべきであろう。筆者は以前、滋賀・石山寺如意輪観音半跏像(旧前立像)〔図1〕と同・浄土寺天部形立像〔図2〕(注12)には、構造をはじめとして様式、作風上多くの類似点があり、細部に至るまで表現の一致が認められる点から、両像が同系統の工房による造像であることを指摘した(注13)。さらに、両像の面相表現や耳朶、鬢髪の形状、地髪部の髪際線がそのまま両耳朶へ繋がる点などの特徴が、法隆寺講堂薬師三尊像〔図3〕のうち両脇侍像と共通することも合わせて指摘した(注14)。各尊像の伝来について簡潔に述べると、石山寺像は、その特殊な図像的表現から造立当初より石山寺に安置されたものとみて間違いない。浄土寺像は大鳥山安楽寺(廃寺)の旧仏といわれ、地理的には金勝寺をはじめとする有力な天台寺院が所在してお― 380 ―― 380 ―

元のページ  ../index.html#392

このブックを見る