鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㉟ 作品に基づく美術史構築のケーススタディ─大村西崖の中国調査作品図版の研究─研 究 者:中国美術学院芸術人文学院 芸術学理論 博士課程  後 藤 亮 子大村西崖の美術史研究について大村西崖(1868-1927、以下西崖と称す)は、東京美術学校第一回生として学び、1900年から1926年まで東京美術学校で東洋美術史を教えた美術史家である。美術史家としての西崖は、画史画論等の作品に関する言説を徹底的に追求する一方、作品の図像イメージである写真資料を意識的に利活用した人物でもあった。中国絵画史に関しては、西崖は生涯に二回、性質の異なる中国絵画通史を執筆した。1910年の『支那絵画小史』は、近代的な意味における初めての中国絵画史ではあったが、古来日本に伝わった「古渡」絵画のみを参照したものだった。その後西崖は1921年に中国古画調査旅行を敢行し、1925年の『東洋美術史』の中では中国大陸での調査研究を踏まえ、いわゆる正統派の絵画を視野に入れた中国絵画史を展開して前作の限界を克服した(注1)。西崖の中国古画調査はその中国絵画史の成立に極めて重大な意義を有しており、本調査ではその内容を詳しく検討する。西崖の中国古画調査と撮影写真西崖の古名画調査の記録は中国旅行日記(以下「日記」と略す)に詳細に残されている(注2)。「日記」と西崖本人による講演記録によれば、渡航期間は1921年10月下旬から翌年1月中旬まで。調査対象の収蔵家は清内府を含む25~30軒、西崖が閲覧した作品総数は5~6000点。写真原版は日本から送付した四切判を使用し、北京で2名、上海で2名の写真技師を雇い、調査した作品から優品を選んで撮影。11月15日から1月8日までの間に750枚(うち北京と天津で600枚、上海では150枚)に及ぶ作品写真を得たという(注3)。西崖が持ち帰った作品写真は、中国本土におけるいわゆる正統派の絵画の視覚情報として当時大きな意義を有していたばかりでなく、20世紀初頭の中国の収蔵界の状況の歴史記録としても重要な意義を有している。東京藝術大学が所蔵する大村西崖関連資料(以下西崖資料と略す)にはガラス看板が22枚残存し、レンガや中国風装飾扉の上で撮影した当時の様子を伝えている〔図1、2〕。― 388 ―― 388 ―

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