鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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B-②に分類される清内府所蔵品の写真は、前述の延光室の1923年の販売品リスト〔図3〕に掲載されている。これらは1921年のリスト(注10)〔図4〕には記載がなく、西崖の第一回旅行の日記にも記述がない。西崖が第2回目以降の中国旅行で北京を訪れた際に入手したものかと思われる(注11)。作品写真とこれらの情報をひも付け、各種データを明らかにすることができた。『名画集』の写真と日記の対応関係を整理すると以下の3通りに分類できる。A) 『名画集』に写真があり、日記に記録があるもの268件703点B) 『名画集』に写真があり、日記に記録がないもの72件101点C) 『名画集』に写真がなく、日記に写真撮影記録があるもの14件45点ほどA 『名画集』所収の中国古画調査による写真『名画集』の大部分を占めるAは基本的に西崖が写真師を雇って中国で撮影したものであるが(A-①)、例外的に前述の趙孟堅「水仙図巻」は延光室の写真である(A-②)。これらの作品がその後どのように移動したかの調査が本調査の中心であり、その調査結果については後述する。B 『名画集』に含まれる中国古画調査に由来しない写真Bは、西崖の第一回中国旅行日記に何ら記述がないが『名画集』に写真が掲載されている作品群である。筆者は調査の結果、その情報源を2種類に特定した。67件96点は『文人画選』掲載の写真であった(B-①)。また5件5点は清内府の所蔵作品で延光室の写真と考えられる(B-②)。B-①:『文人画選』は1921年7月から22年11月まで、西崖が編集・発行した写真集(丹青社発行)である。発行当初、中国旅行前は日本各地の日本人コレクター収蔵の佳品を掲載していたが、西崖の帰国後第1輯第11冊以降は西崖が中国で撮影した写真を多数掲載した。筆者がBに分類した写真は日本人コレクターの収蔵品で、中国旅行とは関係がない(注9)。『名画集』の序文を見る限り、日本で撮影したこれらの写真の混入を大村文夫が意識していたかどうかは不明である。C 『名画集』不掲載の中国古画調査による写真Cは『名画集』には写真がないが、西崖による撮影記録が残るものである。他の形で写真が確認できたもの(C-①)とできなかったもの(C-②)に分けられる。C-①に該当するのは4件28点。龔賢の画法冊20点と、李公麟の五馬図巻6点、ほか2点で― 390 ―― 390 ―

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