鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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伴った。『名画集』も『図録』『図目』もモノクロ印刷だが、撮影方法によるものか、印章や彩色部分の写り方にかなりの違いが見られるほか、印刷の濃淡の差によっても画面の印象はかなり異なることがあった。また画像にゆがみがある場合や、周辺部がトリミングされている場合もあり、同定判断に迷うことも多々あった。加えて、時代を経た変化もあり、西崖が撮影した100年前の時点から現在に至るまで、作品の破損や修復等があった可能性も考慮する必要がある。特に同定に迷った作品の例として李成「寒林図」[1-25]を挙げる。台湾故宮博物院蔵の作品と写真はよく似ているものの、上部が曖昧かつ左上部の跋部分に違いがあり、台湾本に写っている乾隆帝の跋の文字が西崖の撮影写真では見えない。だが作品サイズと技法、絹継目の記述のほか、印記も基本的に西崖の記録と合致する。もしも模本であった場合は絹継目まで摸倣するとは考えられず、同一作品と見做したが、実物の熟覧を経ていない段階での仮判断であることを断っておく。画像のみによる判断の不確実性は今回の調査全体について注意が必要な点である。異本の存在前項と関連するが、今回の調査では、写真比較の結果、酷似しているが細部が異なるものを異本と判断した例が多数ある。筆者の管見の中だけでも16件25点は異本と思われた。紙幅の関係上、典型的なものを2つ挙げるに止めるが、清内府所蔵だった黄公望「九峯雪霽図軸」[2-107]は北京故宮博物院本と酷似しているがサイズが異なり、細部も異なるようである。沈周「仿黄鶴山樵廬山高図軸」[2-211]も台湾故宮博物院本よりサイズが一回り小さく、細部が異なる。西崖は中国で一流の収蔵家の蔵品を調査し、その中からさらに優品を選りすぐって撮影したと自負している(注20)。その中にこれだけ異本が存在しているということは中国絵画の収蔵の実態としてそれ自体興味深いものに筆者には思われた。これらの異本について、真偽や優劣の判断は今回の簡易な調査から導き出せるものではなく、また判断すべきものでもない。むしろこれらの異本から模本の意義を改めて考えさせられた。写真技術が発達するまで、模本作成が重要な視覚情報の保存伝達手段としての意義を有していたことを思えば、異本の存在はその作品が珍重されたこと、重要であることの証左であるとも言える。宮廷内でも異本の存在は珍しくなかった(注21)ようだが、特に民間において秘蔵された作品に異本が多く見られただろうことは想像に難くない。― 394 ―― 394 ―

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