江戸において冬木屋当主との直接の関係が明確となる。三 大阪屋松澤家江戸で油問屋を営んだ松澤家(通称は大孫)は大正七年(1918)十二月五日、東京美術倶楽部で売立を行っており、目録が『松澤家蔵品入札』となる。目録には親しくした抱一や鈴木其一(1796-1858)のほか孤邨による箱墨書も確認でき、さらに冬木伝来品として次の三件が所載される(番号は目録の所載番号)。一八二 冬木伝来 裂手鑑二七六 冬木伝来 光琳 水ニ鶴蒔絵硯筥 共箱三二一 百図之内 冬木伝来 光琳花菱蒔絵火箸このうち「花菱蒔絵火箸」については現在、個人が所蔵する〔図5〕。本火箸は、目録中「百図之内」として紹介されるが、正確には孤邨による『新撰光琳百図』に所載される。柄が花菱蒔絵となっており、箸の部分は赤銅。また箱墨書には松澤家当主と思しき筆跡で冬木喜平治(次)より辰次郎を介して遣わされたことが記される。注目すべきは辰次郎の名が確認できる点であり、冬木屋の菩提寺過去帳には慶応元(1865)年七月一日または二日に没した人物中に「秋峯宗辰信士 喜平次番頭 辰次郎」の名が確認できる。時期から考え「花菱蒔絵火箸」は冬木屋本家番頭の辰次郎を介して、松澤家五代信房(善三郎または全三郎/1803-1882(注14))に譲渡された作品であると判明する。このような松澤家が冬木屋所蔵品位関する関心はどのようなものであったのであろうか。そこで其一が信房に宛てた書簡には次のような記述がある。百圖之内に御座候彼の富士松嶋四尺五寸屏風一雙 本冬木所蔵にて忍の方へ賣レ候よふ心得居候所、夫より 又外へゆづり申候由にて、此節 又出し候趣、外ニて 六十両までニ付候得共、賣不レ申よし― 30 ―― 30 ―
元のページ ../index.html#42