鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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㊲ 20世紀初頭の日本における中国人所蔵の元明清絵画の評価(1) 瀧は1910年秋、内藤湖南らとともに、北京の端方(1861-1911)、羅振玉(1866-1940)、完顔景賢(1875-1931)らの邸宅で絵画調査と撮影を行った。また1928年の「唐宋元明名画展」(以下「唐宋元明」展と略す)と1931年の「宋元明清名画展」(以下「宋元明清」展と略す)を鑑賞した。上記二つの名画展で見た中国絵画が瀧の絵画史観に変化をもたらしたことはあまり論じられていない。(2) 瀧と中国人書画蒐集家の廉泉(1868-1931、1914年4月初来日)との交流、およびそれが瀧の元明清文人画観に及ぼした影響がほとんど取り上げられていない。(3) 瀧が新しい知見に基づき、上記の名画展開催前後に『國華』に寄稿した一連の論説が日本のみならず、欧米の主要な博物館、美術館および個人蒐集家による新しいタイプの中国絵画の蒐集と評価に与えた影響がほとんど考察されていない。はじめに清朝崩壊後、数多くの中国美術品が日本や欧米に流出したことを背景として、日本の華族や新興財閥による中国書画の蒐集と図録の刊行などが盛んに行われた。彼らの蒐集活動のいわば指南役となったのは、内藤湖南(1866-1934)、長尾雨山(1864-1942)、大村西崖(1868-1927)、瀧精一(1873-1945)〔図1〕ら明治・大正期の日本における東洋学と美術史研究の最前線にいた学者たちであった。特に瀧は1901年5月から『國華』(英語版も1905年7月創刊)において、中国と日本の美術を諸外国に紹介することに努めた。現在、これらの日本人蒐集家や学者による著述・出版活動が20世紀初頭において、日本や欧米の主要な博物館および個人蒐集家による中国絵画の蒐集と研究にいかなる影響を与えたのかという問題は、国際美術史分野の研究者から注目を集めている。そうしたなかで、近年、例えば関西中国書画コレクション研究会や吉田千鶴子、杉村邦彦、陶徳民、下田章平、久世夏奈子、戦暁梅らによる著述を通して、この時期の日中美術交流の実態が少しずつ明らかにされつつある(注1)。筆者は上記の学者らによる研究成果に触発され、これまで小規模ながら資料調査を行ってきたが、そこから次のような問題点が浮かび上がってきた。すなわち、─『國華』における瀧精一の論説と廉泉の『南湖東遊日記』を手掛かりに─研 究 者:京都大学 人文科学研究所附属現代中国研究センター 共同研究員― 411 ―― 411 ―  範   麗 雅

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