鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴詳細は年代順に以下の先行研究を参照。鈴木洋保「廉泉の日本における活動─収蔵家としての行跡をめぐって」、「小万柳堂と澄懐堂法帖」『書学書道史研究』第6号、1996年5月、71-86頁;第9号、1999年5月、41-53頁。杉村邦彦「内藤湖南と山本二峯 ── 澄懐堂収蔵の中国書画をめぐって」『書学書道史研究』第6号、1996年5月、17-36頁;同「羅振玉における“文字之福”と“文字之厄”── 京都客寓時代の学問・生活・交友・書法を中心として」『書論』第32号(特集・羅振玉)、2001年3月、105-125頁。曾布川寛監修/関西中国書画コレクション研究会編『中国書画探訪 ── 関西の収蔵家とその名品』東京・二玄社、2011年;同『関西中国書画コレクションの過去と未来 ── 国際シンポジウム報告書』、同出版、2012年3月。下田章平「民国期における完顔景賢の書画碑帖の収蔵について」、「完顔景賢の書画碑帖収蔵の目的について」『中国近現代文化研究』第11号、2010年3月、44-83頁;第12号、2011年3月、13-28頁;同「庚子以前における完顔景賢の書画碑帖の収蔵について」、「端方の収蔵における近代性 ── 中国書画の海外流出の契機」『中国文化:研究と教育』第68号、2010年9月、54-66頁;第73号、2015年9月、92-104頁。西上実ほか編『美術フォーラム21』第26号(特集・中国と東アジア── 近代のコレクション形成と研究の背景)、2012年、34-132頁。久世夏奈子「『國華』にみる新来の中国絵画 ── 近代日本における中国美術観の一事例として」『國華』2012年1月号、2012年1月、5-17頁;同「『國華』にみる古渡の中国絵画──近代日本における「宋元画」と文人画評価の成立」、「外務省記録に見る「唐宋元明名画展覧会」」『日本研究』第47集、2013年3月、53-108頁;第50集、2014年9月、143-189頁。大村西崖著、吉田千鶴子編修、後藤亮子編集協力『西韻図》や《沈石田筆贈呉寛行畫巻》などの元明絵画が中華圏で評価され、高い値段で買い戻されたことによっても、証明されている(注26)。なお、今回の調査では、筆者にとって、最大の成果は何よりも廉泉の『南湖東遊日記』がもつ重要な価値に気付いたことであると付言しておきたい。先行研究によれば、終戦直後の東京大空襲によって、瀧が明治、大正期に来日した中国人書画家・蒐集家らとの交流を明かした書簡、日記、回想録などの一次資料がほとんど残されていないという(注27)。そのため、瀧と中国人蒐集家との交流の実像がつかめられずに現在までに至る。しかし、『南湖東遊日記』では、来日中の廉泉が東京帝国大学でのコレクション展の開催を機に、瀧と、そして「対支文化事業」の立役者であり、瀧の前任で東方文化学院の理事長を務めた服部宇之吉(1867-1939)ら帝大教授たちとの親密な交流が如実に明かされている。今後、筆者はこの日記をもとに、さらに中国や台湾で入手した資料を加えて、両名画展の開催および「対支文化事業」における瀧の役割を明らかにしていきたい。付記日本語文献は一部の引用文を除き、文中の旧漢字は原則として常用漢字に改めた。― 417 ―― 417 ―

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