⑵前掲注⑴杉村「内藤湖南と山本二峯」、17-36頁、「羅振玉における“文字之福”と“文字之厄”」、105-125頁、曾布川「関西中国書画 ── コレクションへの誘い」(前掲『中国書画探訪』、4-8頁所収)、陶徳民「論文 内藤湖南における中国趣味の形成とその影響」(陶徳民編著『内藤湖南と清人書画』、165-198頁所収);邱吉「従外務省記録看日華古今繪畫展覧會」、「山本悌二郎のコレクションとその交友:内藤文庫所蔵の未刊書簡を手掛かりに」『東アジア文化交渉研究』第13号、2020年3月、415-431頁;第14号、2021年3月、449-459頁;同「民國初期「小萬柳堂」書畫在日本的流轉與鑒藏:以廉泉致内藤湖南書簡和〈南湖東游日記〉為中心」『関西大学東西学術研究所紀要』第54巻、2021年4月、345-363頁などを参照。⑶前掲注⑴久世「『國華』にみる新来の中国絵画」、15頁。⑷瀧に関する近年の先行研究は以下のものがある。藤原貞朗「日本の東洋美術史と瀧精一 ──中国美術史編纂をめぐる国際的・学際的競合」(稲賀繁美編著『東洋意識 夢想と現実のあいだ1887-1953』京都・ミネルヴァ書房、2012年、301-334頁所収);同「天心の〈子供〉たち ──日本美術史の思想はどう継承されたのか」(井上章一編『学問をしばるもの』京都・思文閣出版、2017年、53-71頁所収)。ただ、瀧が日中両国の蒐集家から唐宋元明展と宋元明清展に出展した作例に示唆され、『國華』で展開した北宋画や元明清の文人画を評価する文筆活動とその意義については、前掲注⑴久世「『國華』にみる新来の中国絵画」(7-15頁)と、拙論「偽作と傑作との〈あいだ〉」(稲賀繁美編著『映しと移ろい─文化伝播の器と蝕変の実相』東京・花鳥社、2019年、94-116頁所収)で言及された以外、今日まで詳細な研究論著がまだ現れず、明らかに不十分だと言える。⑸明清書画へ向ける日本人と中国人の異なる眼差しと趣向については、板倉聖哲「日本所蔵の明清絵画、二つの視点から」『東方』第442号、2017年2月、2-7頁を参照。⑹端方、羅振玉、廉泉のコレクション以外、蒐集家の顔世清も大正11年(1922)12月東京の中華民国公使館内でコレクション展を開催した。しかし、瀧が同展を見たかどうかは現時点不明である。同展についての詳細は、下田章平「顔世清の来日と中国書画の日本への将来 ── 顔氏寒木堂書画展覧会を中心として」『中国近現代文化研究』第18号、2017年3月、73-95頁を参照。⑺無署名「王翬筆山水圖」『國華』第250号、1911年3月、244頁。⑻曾布川寛「解説」(内藤湖南著『支那絵画史』東京・筑摩書房、1975年、46-62頁所収)を参照。⑼無署名「雑録」『國華』第290号、1914年7月、27頁。⑽無署名「王蒙山水畫巻解」『國華』第556号、1937年3月、87頁、挿図3-5。⑾廉泉著、廉仲整理『南湖東遊日記』『歴史文献』第20輯、上海古籍出版社、2017年11月、111-112頁。⑿同上111頁。⒀瀧は「支那畫に對する鑑識の變化」(『國華』第250号、1911年3月、229-232頁)と題する論説で、崖 中国旅行日記』東京・ゆまに書房、2016年。戦暁梅「廉泉と大村西崖の交友 ── 『大村西崖宛 廉泉書簡』『南湖東遊日記』を主な手掛かりに」『美術研究』第425号、2018年7月、35-54頁。 湖南を中心とする関西書画圏の動向については、上記の曾布川「関西中国書画 ── コレクションへの誘い」(前掲『中国書画探訪』、4-8頁所収)と陶徳民「論文 内藤湖南における中国趣味の形成とその影響」(陶徳民編著『内藤湖南と清人書画 ── 関西大学図書館内藤文庫所蔵品集』関西大学東西学術研究所資料集刊26、吹田・関西大学出版部、2009年、165-198頁所収);森橋なつみ編『阿部コレクションの諸相:文化的意義とその未來』大阪市立美術館、2019年などを参照。― 418 ―― 418 ―
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