鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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宋元明清展に参観するために来日した呉湖帆も中国国内の蒐集家所蔵の書画作品だけでなく、日本に流入した歴代の名画を鑑賞できたことで、その鑑識眼も磨かれたと思われる。前掲注⑷拙論「偽作と傑作との〈あいだ〉」(稲賀繁美編著『映しと移ろい』、109-110頁所収)を参照。 詳細は朱省斎著『海外所見中国名画録』香港・新地出版社、1958年、41-43頁、図29-30;雅昌芸術品網:http://www.artron.net(2021年12月28日閲覧);王雪茹「嘉德之夜:沈周巨作《送吴文定行并卷》以1.4835元成交」『中国美術報』2017年12月20日などを参照。 藤懸静也「瀧博士の追憶(上)」、「瀧博士の追憶(下)」『國華』第651号、1946年6月、65-70頁;第652号、1946年7月、111-118頁;角田拓郎「『國華』の確立:瀧精一・辰井梅吉体制化の模索」『美術フォーラム21』第28巻(特集:日本美術史はいかにしてつくられたか)、2013年、47-52頁。幾度の戦乱や異民族による破壊行為が繰り返されてきた中国には、真筆とされる北宋画が本当にあるかどうかを疑いの目で見ていた。また両名画展が開催されるまで、『國華』は新来の明清絵画より、むしろ岩崎家が所蔵する戴進、藍瑛、張瑞図らの浙派系譜に属する画家の作品をより多く掲載・紹介している。⒁前掲注⑺や⑽などに見られるように、『國華』掲載の論説には無署名のものもかなりある。現時点、これらは全部瀧が執筆したかどうかは断定し難いが、瀧の絵画観を反映するものとして、掲載が許可されたことは間違いないだろう。⒂瀧精一「呉鎮嘉禾八景圖巻に就て」『國華』第500号、1932年7月、194頁。⒃同上203頁。⒄瀧精一「沈啓南九段錦畫冊に就て」『國華』第495号、1932年2月、33-34頁。⒅同上34頁。⒆呉孟晋「日本所蔵的沈周九段錦圖冊」『故宮文物月刊』第371期、2014年8月、68-75頁。⒇無署名「沈石田筆贈呉寛行畫巻解」『國華』545号、1936年4月、113頁。 同上113頁。 無署名「釋道済筆廬山觀瀑圖解」『國華』第493号、1931年12月、363頁。 前掲注⑴久世「『國華』にみる新来の中国絵画」、14頁。 呉同編著/湊信幸翻訳監修「図版解説」(『ボストン美術館蔵:唐宋元繪畫名品集』ボストンと東京・ボストン美術館、大塚巧藝社、2000年、22-24頁所収)。― 419 ―― 419 ―

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