㊳ 近代日本におけるキリスト教布教に活用された聖画像の伝播─ド・ロ版画を中心に─研 究 者:大浦天主堂キリシタン博物館 研究課長 内 島 美奈子はじめに近代日本におけるキリスト教カトリック教会の布教活動において一連の版画群が活用された。それらは二人のフランス人宣教師によって作成されたものである。その一人であるイエズス会のアドルフ・ヴァスール(1828-1899)は、1865から71年にかけて中国の上海で布教を目的とした版画の制作事業に取り組み、フランスに帰国後も継続した。明治期に布教活動の中心地であった長崎の教会には、ヴァスールが上海で制作した木版画のほか、フランスで制作した石版画も残されている。また、そのヴァスールの版画を参考とし、1870年代後半の長崎においてパリ外国宣教会のマルク・マリー・ド・ロ(1840-1914)が布教に資するための木版画を制作した。それは今日、「ド・ロ版画」と通称され、その一部は長崎の文化財に指定されている。これらの版画群は現在、長崎を中心としたカトリック教会関係施設で保管されているが、その存在はあまり知られておらず、美術史研究の対象として取り上げられることはなかった。とりわけ、ド・ロ版画の源流ともいえるヴァスールの版画群については残存状況を含めて不明な点が多い。そこで本研究では、基礎調査として長崎における版画群の所在調査を行い、その収蔵経緯に関する情報をまとめる。その情報をふまえて、ヴァスールやド・ロによって生み出された、布教地のための聖画像に反映される布教の方針や芸術観、さらには日本の禁教下に形成された特殊な信仰形態がド・ロ版画に付与した独自性を指摘したい。1 版画群の収蔵経緯と残存状況1-1 ヴァスール版画の入手経緯と背景ド・ロがヴァスールの版画を入手して参考とした経緯について具体的な情報は確認されていない。ここではまず版画群の歴史的背景をまとめておきたい。ド・ロ版画が制作された明治初期、当時の中国はアジア布教の拠点であり、日本よりも布教活動が進展していた(注1)。16世紀にポルトガルの支援によりイエズス会が中国布教の基盤を築き、1685年にフランス王ルイ14世もフランス人イエズス会士を中国に派遣した(注2)。同時期の1684年に、フランス人司祭で構成されるパリ外国宣教会は中国に宣教師を派遣する。この時期にはその他の修道会も次々と来華し、17― 422 ―― 422 ―
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