鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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世紀末の中国教区編成では各宣教団体に担当地域が割り振られた。布教地の中国において、在華の宣教団体はその支援国の争いを背景に激しく対立するが、1775年に中国のイエズス会に解散命令が言い渡されるまでは、イエズス会が布教活動の中心を担っていた。その後解散命令が解かれ、1843年にイエズス会は中国の布教活動を再開している。中国で短期的な禁教体制が取られながらも宣教師たちは同地で活動を続け、布教に資するための書籍を制作した。同地で活動した様々な宣教団体が書籍を制作しているが、その制作数はイエズス会が圧倒している。19世紀に布教を再開したイエズス会は過去の中国布教の成果物を再版しており、それらがパリ外国宣教会によって日本布教に活用され、長崎に残されている。日本で使用する教理書を作成するにあたって参考とされ、19世紀の長崎の神学校の教育においては教科書として使用されている(注3)。画像事業については、イエズス会の一時的な解散の後、19世紀半ばに中国布教活動を再開してから本格的に取り組まれた。こうした中国における布教活動に関する情報は、フランス本国で共有されていたようである。フランス・イエズス会は中国での活動成果を本国において積極的に発信した(注4)。ヴァスールもフランスで自身の事業の成果を発表している(注5)。同会の出版活動は、フランスにおいてアジア布教活動に対する関心を集め、その支援者を獲得することにつながった。さらには、布教を志す者にとって重要な情報源となったと推測される。中国で布教活動を行っていたパリ外国宣教会もイエスズ会の出版物から様々な情報を得ていた可能性がある。したがって、香港に拠点を有していたパリ外国宣教会は、長崎から上海に渡る機会も多く、上海で制作されたイエズス会の木版画群を入手して活用したことは自然なことであったといえる。1-2 長崎における版画の残存状況版画群の所在と収蔵経緯に関する調査についてまとめる(注6)。本研究の考察の対象とする版画群を時系列で記すと次のとおりになる。①ヴァスールの木版画制作地:上海  制作時期:1860年代後半か  主な収蔵機関:お告げのマリア修道会― 423 ―― 423 ―

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